「してあげたいこと」と「したいこと」

Titania

2010年01月16日 08:44

もうすぐお誕生日の私は、

昔のお誕生日の事を、ふと思い出しました。





昔は、本当にわがままでした。(汗)















友人たちとは、誰かのお誕生日のある月には、

必ずお食事に出かけていました。





その時にプレゼントを渡すんだけど、

私は、常に、仲の良いお友達の事を、頭の片隅に入れているので、

自分のお買い物で出かけても、

違うお友達のプレゼントを探している時も、

その、誰かの「好きそうなもの」を見つけると、チェックしておいて、

お誕生日の前までには、いくつかの候補が上がっている事が普通だったんです。





そんな風に、

まるで一年を通じて、

みんなのプレゼントを、いつも気にして、楽しんで選んでいるような日々を送っている私は、

自分のプレゼントをもらった時に、

「ぁー、、、これって、今、慌てて買ってきてくれたんだろうな。。。。」

と感じると、ちょっと寂しかった訳です。。。。





ね。。。。

今考えると、

ほんと、贅沢でわがままな女性でしょう。(汗)





今は、もう、違いますよ!

その裏に、どういう思いがあるとか、そんな事、どうであろうと、

私を思ってプレゼントをくれると言う、

それだけで、十分特別である事を、

それだけで、十分ありがたいことを、

もう知ってしまいましたから。。。。















でも、

ダーリンに対しても、

娘に対しても、

誰か友人に対しても、

「何かをしてあげたい!」と思うとき、

それは、いつも、

「私がしたいことなのか?」

それとも、

「相手が喜ぶ事なのか?」

を、考える事は、相変わらずです。





ダーリンへのお財布も、

私が、

「こういう素敵なジェントルマンになってね。」

「店長さんだから、素敵なものを身に付けないとね。」

などと話す事で、

彼は、

自分の仕事のやりがいや、

男性性の確立などを、

自然と感じて、更に男性として素敵な成長をしていきたいと思うタイプです。





だから、

ちょっと贅沢でも、

素敵な小物を身に付けてもらうようにプレゼントすることは、

彼にとっては、とっても嬉しい事になる。





私が、

「こうなって欲しい!」

よりも、

私が優先するのは、

彼が、そう言われて、そうプレゼントされて、

「どう感じるか?」

ここが大切だと思っています。















そして、もう一つは、

その喜んでくれるだろうと思われる物の中で、

『一番喜んでくれるもの』

にすること。





「ほどほどなもの」や「ぼちぼちなもの」は、

「ほどほどの愛情」のような、そんな気がしてしまうのです。





だから、

絶対に『一番』なものを、

必ず段取って用意する。















なにしろ、私が

「これをあげたい!」

だけでは、浅い気がするし、

「これで良いどう?」

でも、安易なような気がして、

どちらも、

私からのエゴが、とっても多い気がしてしまうのです。。。。





だから、相手が、そこまでを求めていなくても、

せっかくの「祝い」だからこそ、

私の中の、その相手に対しての「ベスト」で表したい!

と、思ってしまうのです。





そういう気持も含めての「プレゼント」って事ですかね。





まぁ、それを、

「面倒な人」や「手間の掛かる人」と捉える方もいるのかもしれないけれど、

そういう方とは、どうせ、住む世界はちょっと離れているでしょうしね。





ただ、何度も言うようだけれど、

私があげる時だけのこだわりであって、

もう、今は、

自分がもらう時には、相手先にまでは、そんなに色々とは求めないんですけどねぇ。















みなさんは、プレゼントを選ぶ時、

どんな風に選んでいますか?

そして、

どんな風に考えたりしていますか?







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