「してあげたいこと」と「したいこと」
もうすぐお誕生日の私は、
昔のお誕生日の事を、ふと思い出しました。
昔は、本当にわがままでした。(汗)
友人たちとは、誰かのお誕生日のある月には、
必ずお食事に出かけていました。
その時にプレゼントを渡すんだけど、
私は、常に、仲の良いお友達の事を、頭の片隅に入れているので、
自分のお買い物で出かけても、
違うお友達のプレゼントを探している時も、
その、誰かの「好きそうなもの」を見つけると、チェックしておいて、
お誕生日の前までには、いくつかの候補が上がっている事が普通だったんです。
そんな風に、
まるで一年を通じて、
みんなのプレゼントを、いつも気にして、楽しんで選んでいるような日々を送っている私は、
自分のプレゼントをもらった時に、
「ぁー、、、これって、今、慌てて買ってきてくれたんだろうな。。。。」
と感じると、ちょっと寂しかった訳です。。。。
ね。。。。
今考えると、
ほんと、贅沢でわがままな女性でしょう。(汗)
今は、もう、違いますよ!
その裏に、どういう思いがあるとか、そんな事、どうであろうと、
私を思ってプレゼントをくれると言う、
それだけで、十分特別である事を、
それだけで、十分ありがたいことを、
もう知ってしまいましたから。。。。
でも、
ダーリンに対しても、
娘に対しても、
誰か友人に対しても、
「何かをしてあげたい!」と思うとき、
それは、いつも、
「私がしたいことなのか?」
それとも、
「相手が喜ぶ事なのか?」
を、考える事は、相変わらずです。
ダーリンへのお財布も、
私が、
「こういう素敵なジェントルマンになってね。」
「店長さんだから、素敵なものを身に付けないとね。」
などと話す事で、
彼は、
自分の仕事のやりがいや、
男性性の確立などを、
自然と感じて、更に男性として素敵な成長をしていきたいと思うタイプです。
だから、
ちょっと贅沢でも、
素敵な小物を身に付けてもらうようにプレゼントすることは、
彼にとっては、とっても嬉しい事になる。
私が、
「こうなって欲しい!」
よりも、
私が優先するのは、
彼が、そう言われて、そうプレゼントされて、
「どう感じるか?」
ここが大切だと思っています。
そして、もう一つは、
その喜んでくれるだろうと思われる物の中で、
『一番喜んでくれるもの』
にすること。
「ほどほどなもの」や「ぼちぼちなもの」は、
「ほどほどの愛情」のような、そんな気がしてしまうのです。
だから、
絶対に『一番』なものを、
必ず段取って用意する。
なにしろ、私が
「これをあげたい!」
だけでは、浅い気がするし、
「これで良いどう?」
でも、安易なような気がして、
どちらも、
私からのエゴが、とっても多い気がしてしまうのです。。。。
だから、相手が、そこまでを求めていなくても、
せっかくの「祝い」だからこそ、
私の中の、その相手に対しての「ベスト」で表したい!
と、思ってしまうのです。
そういう気持も含めての「プレゼント」って事ですかね。
まぁ、それを、
「面倒な人」や「手間の掛かる人」と捉える方もいるのかもしれないけれど、
そういう方とは、どうせ、住む世界はちょっと離れているでしょうしね。
ただ、何度も言うようだけれど、
私があげる時だけのこだわりであって、
もう、今は、
自分がもらう時には、相手先にまでは、そんなに色々とは求めないんですけどねぇ。
みなさんは、プレゼントを選ぶ時、
どんな風に選んでいますか?
そして、
どんな風に考えたりしていますか?
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