選択の自由
実は、ちょっと前に、
ちょっとだけ落ち込んでいたTitaniaです。
でも、私には、
愚痴を聞いてくれるダーリンや娘や友人や生徒さんなどなど、
沢山の優しい人達に囲まれて、
恵まれてもいる。
辛い事や悲しい事があった時、
この、ありがたい環境を省みるチャンスを、時間を、
もらっているとも言えるんですよね。
私には、苦手な関係の形がある。。。。
それは、対等ではない、
「上下関係」や
「加害者」や「被害者」である、
エネルギーの取り合う関係。
特に、
これは誰でも、そうなんだけど、
エネルギーを取られる側になるのは、
本当に嫌だし、苦しい。
そして、取る側になることも、
やっぱり避けたい。
ま、ここは、私の考えは、
ただ「エネルギーを取る」ということではなく、
『カルマ』を作りたくない!
が強くあるかもしれないけど。。。。
こういうエネルギーの関係って、
「上」からとられたり、
「加害者」が取ったりするばかりだと思うでしょうけど、
実は、そうでもないんですよね。
私が一番怖いパターンで取られる形。
それは、
「加害者」にさせられること。
性格的にも、物事をハッキリと言うタイプの私。
そして、
今の仕事上も、どうしたって、何かを伝える側にある。
「被害者」側には、
どうしたって見えにくい立ち位置に、既にある。
その中で、その環境で、
「下」からの物言いをされることや、
「卑下」して話しをされることは、
その後、
私との会話や、その内容が、
「言われた!」
と言う形で、伝える人が多いし、そう伝わりやすい。
「会話した」でも無く、
「話した」でも無く、
「話し合った」でも無く、
「言われた!」
になるのだ。
「教えてください。」
「教えて欲しい。」
と言われた事でも、
「注意された!」
「怒られた!」
「指摘された!」
と、
またまた、
「被害者」が拡大して、私はとんでもない「加害者」となる。(泣)
まぁ、ブログでも、そうですよね。
私から、相手側にアプローチをして、「上」から教える、伝えるをやれば、
そう言われても仕方が無いかもしれない。
だけど、
私のブログ内で、
私に、その方からアプローチを頂いて、コメントを頂いた分に関しては、
私は、セッションと同じように考えているので、
「私のお伝えできることを、お伝えする」
と、そう決めて、コメントを返している。
これさえも、もしかしたら、
「言われた!」
「指摘された!」
などなどに、なっているのかもしれない。。。。(泣)
まぁ、
だから、私は、
「上下関係」は、嫌いなのです!!!
当然、
自分が「下」にさせられて、エネルギーを取られるのも嫌です。
自ら、へつらって来る方も、
裏がありそうだし、
後で、上に書いたようなことにもなりやすいから、
やっぱり怖い。
「加害者」にさせられるのは、
もう、まっぴらごめんなのです。
でも、
私にも、みんなにも、
「選択の自由」がある。
私は、
「加害者」には、もうなりたくないのです。
「被害者」になって「自己防衛」「自己保身」をしたい人の為に、
「加害者」にされて、
多くの人から、
群集から、
エネルギーを取られる感覚は、
もう嫌なのです。
だから、
私は、自分を大事にする為に、
私を「加害者」に仕立てる人とは、距離を置くことで、私は、私を守ります。
これは、
私の、「選択の自由」において。
でも、
「被害者」で居たい人には、
その人の「選択の自由」の中で、そこに居てもらって良いのです。
責める事をしても、たぶん伝わらないし、
悲しみを伝えても、それも、深くは響かない。。。。
伝わらない、分かってもらえない、
そう決めてしまって、「言わない」と言っているのでは無いのです。
私は、
「伝わるように伝える」努力は、やり過ぎるくらいやります。
それは、お互いを知りたいと思うからこそ、行う。
その言動は、
基本的に、誰にでも、いつも、常にやっています。
その上での、
私の「選択」なのです。
だから、
その人は、それで、そのままで良のでしょう。
そのままで良く無いのであれば、その人が、それを感じて言動するのだと思うし。
それが、
その人の「自由」です。
それを選んでいるということなんだと思います。
無意識であろうと、意図的であろうと。。。。
全ては、良い意味でも、悪い意味でも、
『因果応報』
全て、回り回って巡ってくるのです。
そう考えれば、
私も、どこかで、同じことをした時代があって、
今、巡って、回って、受けて、
知っている、学んでいる、最中なのかもしれません。
だから、「今世」は、
どうしても、対等な関係に意識が、執着に近いくらいに、あるのだろうしね。
納得です。
でも、私は、もう、
このエネルギーのやり取りがある関係は、降ります。止めます。
その、エネルギーのやり取りを意識すればするほど、
今の私は、底なし沼にはまりそうで。。。。
だから、
この、エネルギーの関係性さえも、超えた、
取られようと気にならない、傷付かない、
そんな場所にまで進みます。
自ら、望んで、エネルギーを渡すことは、
自ら進んで、喜んでさせて頂きます。
これも、
私の「選択の自由」において。
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