まずは、真似る!
昨日は、とうとう、今年に入って、二つ目のメガネを無くした娘の為に、
メガネを買いに、街まで。。。。
ついで?に私も、自分用を購入。
私は、もう、かれこれ15年くらい、同じメガネを使っていたんです。
一昨年ダーリンに買ってもらっていたメガネも、
娘に取られて、更に無くされて、、、、。
で、今回は、奮発して、
40歳に見合うようなデザインで、行ってみましたよ。
でも、このメガネを選ぶ時も、
当然、似合うかどうか?も見ますが、
「どういうスタイルを作りたいのか?」
は、ちょっと考えました。
今回は、
ちょっと「お金持ち風」で、行きました。(笑)
本題と、昨日のメガネ選びは、少し繋がっています。
これ、
「美容」でも、「ライフスタイル」でも、
何でも、そうなのですが、
世の中が、では無くって、
自分が見て、
『これ、素敵!!!』
『この人、凄い!!!』
と思った人、物を、
まずは、真似ないと、始まらない!!!
って、思うんです。
昨日は、私の中で、
君島十和子さんを、イメージして、選んだんですよね。(笑)
私は、
本来、あんまり、センスが良い方ではなかった。
学生の時など、
「地域によって、ここまでセンスが違うのか?」
と、
自分の地元の普通に紛れていた自分に、
慌てたこともあった。(笑)
でも、ラッキーなことに、
高校からの私の仲の良い友人は、
タイプが違う、センスの良い女性が数人居て、
「分からない時には、聞く!」
「悩んだ時には、教えてもらう!」
「一緒に選んでもらう!」
など、
学ぶという場所があった。
そんなこんなの中で、
さすがに40歳。
自分の好きなスタイルと、似合わないスタイルと、それに伴うセンスも、
やっと、
この友人たちの『お陰』で、確立出来始めているって訳です。
そう考えたら、
「私は、真似されることが、嫌いなのだっけ?」
と、自分に聞いてみた。
なぜなら、すぐに、私は、
「ぁー、またネタを盗まれたね!」
とか、
何しろ、
「盗まれている」
という感覚が強いから、
「私って、どんだけケチなのかしら?」
と、
疑問に思ったのですよ。
でも、ちょっと違う事が分かった。
私は、いつも、
「誰に、どう影響を受けて、今の私がある」
という自覚が、基本的に自分にあって、
その上で、
人に聞かれれば、
そのことを、その人を、その話しを、
キチンと出来るように、意識もしている。
分かるでしょうか?
私には、
『お蔭様』の意識があり、『感謝』の思いがあるんですよね。
自分で言うのも何ですが、
「自分」って、そんなに凄くもないし、全てオリジナルでいけるほど多才でもないことを、
私は、知っているんです。
だから、
ちょっとは『謙虚』でもあるんですよ。
まぁ、そうは見えないかもしれないけどね。(笑)
その時に、直接お世話になっていたときには、
色々な事があったとしても、
結局は、『影響』を受けたことに変わりは無いんですよね。
その人に会わなければ、
その人に学ばなければ、
その人から教えてもらわなければ、
その人に関わらなければ、
今の私の、
その情報や、
その選択や、
その価値観は、
生まれていなかったんです。
これが、感じられない人って、
やっぱり、、、、、
私は、、、、
苦手なようです。
別に、
「Titaniaさんのお陰で!」
って、
世の中に対して叫んで欲しいんではなくって、
誰に対しても、
『お蔭様』や『感謝』の気持ちが、
心の奥底にも、
微塵にも感じられない方って、
居ると思いませんか?
この、驕りにも似た感覚が、
私はダメなようです。
だから、そんなタイプの人にやられたときに、
「盗まれたー!」
って思っているみたい。。。(笑)
これを考えると、
いつも浮んでくるのが、
映画の「ワーキングウーマン」
知っている人、居るかなぁ?
あの「エイリアン」の、あの人が、
バリバリのキャリアウーマンで、しかも、ネタを盗む上司の役で出てくるんですが、
その映画の後半で、
契約が、そのネタを盗んだ上司と結ばれそうになったときに、
主人公の女性が、
契約相手に、
「どうしてこの契約を思いついたのか?」
「どういう意図でなのか?」
を、
話すシーンがあります。
ここで、
絶対に、
発案者で無いと分かり得ない、
発案者で無いと言えない言葉を、
彼女は話すのですが、
私は、このシーンが、昔っから、頭を離れないのですよねぇ。
結局、盗んだネタは、底が浅い。
だから、
続かなくなってきたり、
深みが出なくなってくる。
そうなると、面白さも欠けてくる。
私たちは、
必ず、人と関わって、学んでいるんです。
それを忘れては危険。
「一人で生きている」
ような感覚にあることほど、
驕り、高ぶっている証拠なのです。
まぁ、昔の私も、そうだった気がします。
だから、
今、気が付かずに、やらかしている方々を責める気はありません。
でも、いつか、気が付く時が来てくれると、嬉しいです。
年を取れば、気が付く。
年を取れば、学ぶ。
と思っているかもしれませんが、
そうではないのが世の常では無いでしょうか?
気が付かずに、
学ばずに、
次の来世に持ち越す方は、沢山いらっしゃるんです。
「今現在の年齢が若いから、しょうがないじゃない。」
と言うのは、
本人が言っては、それは甘えでしかなく、
他人が言うのは、そう言うしかないから、
それで済ましてくれているだけにしかならない。
学ぶには、
「人を真似る」ことは、とっても大切です。
これが、結構、早道にもなる。
でも、落とし穴が、これ。
『お蔭様』を忘れないこと。
「私が見つけた人」
だと言う前に、
その人が、その状態で存在していないと、あなたが見つけることも出来ないってことです。
「真似ている」自覚を持って、
学んでいく。
これによって、
必ず、いつの間にか、オリジナルも生まれてきます。
でも、
自覚がある事が大切。
常に、
あなたの前に、
先人が居て、
先に道を踏んで作ってくれている人が居る事を、
忘れてはいけないのです。
『謙虚』でないと、
学びは、極端に減り、
浅く、みすぼらしいものになる。
関連記事