まずは、真似る!

Titania

2010年08月16日 09:31

昨日は、とうとう、今年に入って、二つ目のメガネを無くした娘の為に、

メガネを買いに、街まで。。。。





ついで?に私も、自分用を購入。





私は、もう、かれこれ15年くらい、同じメガネを使っていたんです。

一昨年ダーリンに買ってもらっていたメガネも、

娘に取られて、更に無くされて、、、、。





で、今回は、奮発して、

40歳に見合うようなデザインで、行ってみましたよ。





でも、このメガネを選ぶ時も、

当然、似合うかどうか?も見ますが、

「どういうスタイルを作りたいのか?」

は、ちょっと考えました。





今回は、

ちょっと「お金持ち風」で、行きました。(笑)















本題と、昨日のメガネ選びは、少し繋がっています。





これ、

「美容」でも、「ライフスタイル」でも、

何でも、そうなのですが、

世の中が、では無くって、

自分が見て、

『これ、素敵!!!』

『この人、凄い!!!』

と思った人、物を、

まずは、真似ないと、始まらない!!!

って、思うんです。





昨日は、私の中で、

君島十和子さんを、イメージして、選んだんですよね。(笑)















私は、

本来、あんまり、センスが良い方ではなかった。





学生の時など、

「地域によって、ここまでセンスが違うのか?」

と、

自分の地元の普通に紛れていた自分に、

慌てたこともあった。(笑)





でも、ラッキーなことに、

高校からの私の仲の良い友人は、

タイプが違う、センスの良い女性が数人居て、

「分からない時には、聞く!」

「悩んだ時には、教えてもらう!」

「一緒に選んでもらう!」

など、

学ぶという場所があった。





そんなこんなの中で、

さすがに40歳。

自分の好きなスタイルと、似合わないスタイルと、それに伴うセンスも、

やっと、

この友人たちの『お陰』で、確立出来始めているって訳です。















そう考えたら、

「私は、真似されることが、嫌いなのだっけ?」

と、自分に聞いてみた。





なぜなら、すぐに、私は、

「ぁー、またネタを盗まれたね!」

とか、

何しろ、

「盗まれている」

という感覚が強いから、

「私って、どんだけケチなのかしら?」

と、

疑問に思ったのですよ。





でも、ちょっと違う事が分かった。















私は、いつも、

「誰に、どう影響を受けて、今の私がある」

という自覚が、基本的に自分にあって、

その上で、

人に聞かれれば、

そのことを、その人を、その話しを、

キチンと出来るように、意識もしている。





分かるでしょうか?





私には、

『お蔭様』の意識があり、『感謝』の思いがあるんですよね。





自分で言うのも何ですが、

「自分」って、そんなに凄くもないし、全てオリジナルでいけるほど多才でもないことを、

私は、知っているんです。

だから、

ちょっとは『謙虚』でもあるんですよ。





まぁ、そうは見えないかもしれないけどね。(笑)





その時に、直接お世話になっていたときには、

色々な事があったとしても、

結局は、『影響』を受けたことに変わりは無いんですよね。





その人に会わなければ、

その人に学ばなければ、

その人から教えてもらわなければ、

その人に関わらなければ、

今の私の、

その情報や、

その選択や、

その価値観は、

生まれていなかったんです。





これが、感じられない人って、

やっぱり、、、、、

私は、、、、

苦手なようです。















別に、

「Titaniaさんのお陰で!」

って、

世の中に対して叫んで欲しいんではなくって、

誰に対しても、

『お蔭様』や『感謝』の気持ちが、

心の奥底にも、

微塵にも感じられない方って、

居ると思いませんか?





この、驕りにも似た感覚が、

私はダメなようです。





だから、そんなタイプの人にやられたときに、

「盗まれたー!」

って思っているみたい。。。(笑)















これを考えると、

いつも浮んでくるのが、

映画の「ワーキングウーマン」

知っている人、居るかなぁ?





あの「エイリアン」の、あの人が、

バリバリのキャリアウーマンで、しかも、ネタを盗む上司の役で出てくるんですが、

その映画の後半で、

契約が、そのネタを盗んだ上司と結ばれそうになったときに、

主人公の女性が、

契約相手に、

「どうしてこの契約を思いついたのか?」

「どういう意図でなのか?」

を、

話すシーンがあります。





ここで、

絶対に、

発案者で無いと分かり得ない、

発案者で無いと言えない言葉を、

彼女は話すのですが、

私は、このシーンが、昔っから、頭を離れないのですよねぇ。





結局、盗んだネタは、底が浅い。

だから、

続かなくなってきたり、

深みが出なくなってくる。





そうなると、面白さも欠けてくる。















私たちは、

必ず、人と関わって、学んでいるんです。





それを忘れては危険。





「一人で生きている」

ような感覚にあることほど、

驕り、高ぶっている証拠なのです。





まぁ、昔の私も、そうだった気がします。

だから、

今、気が付かずに、やらかしている方々を責める気はありません。

でも、いつか、気が付く時が来てくれると、嬉しいです。





年を取れば、気が付く。

年を取れば、学ぶ。

と思っているかもしれませんが、

そうではないのが世の常では無いでしょうか?





気が付かずに、

学ばずに、

次の来世に持ち越す方は、沢山いらっしゃるんです。





「今現在の年齢が若いから、しょうがないじゃない。」

と言うのは、

本人が言っては、それは甘えでしかなく、

他人が言うのは、そう言うしかないから、

それで済ましてくれているだけにしかならない。















学ぶには、

「人を真似る」ことは、とっても大切です。





これが、結構、早道にもなる。





でも、落とし穴が、これ。

『お蔭様』を忘れないこと。





「私が見つけた人」

だと言う前に、

その人が、その状態で存在していないと、あなたが見つけることも出来ないってことです。





「真似ている」自覚を持って、

学んでいく。

これによって、

必ず、いつの間にか、オリジナルも生まれてきます。





でも、

自覚がある事が大切。





常に、

あなたの前に、

先人が居て、

先に道を踏んで作ってくれている人が居る事を、

忘れてはいけないのです。





『謙虚』でないと、

学びは、極端に減り、

浅く、みすぼらしいものになる。






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