「ママに嫌われたくない!」
娘に言われた言葉です。
先日、娘が、自分の中のジレンマを抑えきれずに、
泣きながら言った言葉でした。
うちは、現在思春期で、
反抗期になっていいのに、
反抗期になっていません。
思春期は、
親の言うことを聞かないくらいの、
そんな反抗期になった方が良いのです。
それが、自我の確立の段階です。
親のクローンに育てる気が無ければ、
そうある事を、
反抗期を、
親は望んだ方が良いのです。
娘は、
幼い頃から、私の顔を窺う子だった。
でも、
悪い意味で言われる事も無く、
どちらかと言うと、
良いほうに言われることが多かった。
でも、私は引っ掛かっていた。
「ママが怒らないように!」
では無く、
「ママが喜ぶように!」
であっても、、、、
これは、
彼女の主軸が、
自分では無く、母親の私にフォーカスしているから。
「ママが大好き!」
嬉しい言葉だけれど、
執着しすぎていることは、危険だと感じていた。
今年に入って、
私は、娘に、何かある度に、
「自分で決めなさい!」
を、今までとはニュアンスを変えて言っている。
今までは、
「まず、自分はどうしたいのか?それを決めなさい。」
と促し、
結局は、私が許可を出して、決定となっていた。
それを、
今年からは、
「ママの許可を求めないで、自分で決めなさい。
あなたが決めたことに、ママは許可は出さないけれど、受け入れるから。」
と、
内容を変えたのだった。
予想はしていた。
娘の中でジレンマが起きるだろうと。。。。
そこで、たぶん、
爆発するだろうと。。。。
良い爆発だったとおもう。
まぁ、まだ、何度か爆発しないと、
彼女の中での調和は掴めないだろう。
色んなことを話した。
自分が、とっても嫌な子なんだと、
そう言い出した。
二重人格だと。。。。
例に出して話すには、
リアルな話でないと、それは説得力はない。
母である私の、
ずるくて汚い私の話。
意地悪で残忍な私の話。
色々な私自身の奥に潜むダークな部分。
そんな話を、正直に話した。
そんな私でも、
それでも、
こんなに自由に、
こんなに自然に、
こんなに豊かに、
こんなに穏やかに、
優しい気持ちで暮らせている理由を、
全て話した。
「あなたが思っている、あなたのどんなに汚い部分を見ても、
ママは、絶対に揺れないし、嫌いにもならない。」
そんな話をした。
「ただ、ママの苦手な事は、
自分の弱さや、自分のずるさを、
無い事にして、棚に上げて過ごしている人だけは、
どうしても受け入れられないことがある。
本当に意地悪な人でも、
その人が、そのことを自分で受け入れていて、素直であれば、
ママは楽しく一緒に過ごせるし、意外と好きにもなれるんだよ。」
と、
大人でも難しいだろうことだけど、そのことを話した。
「人に嫌われたくない!」
この思いで、苦しんで生きている人が、
本当に沢山居る。
ほとんどの人たちが、そうだろう。
でも、
「素」の、
「そのまま」の自分であった方が、
実は、
沢山の人と分かち合い仲良くなれるのだ。
やってみていないから、
やったことがないから、
怖くて出来ないだけ。
やってみて、
そう感じている私が言うのだから、
試してみる価値はあると思う。。。。のだけど、
どうでしょうか?
あなたは、あなたのままで良いのです。
意地悪でも、汚くても、ずるくても、
それさえ、
自分で棚に上げずに、キチンと受け入れていれば、
本当は、
「そのまんま」でいいんです。
「そのまま」のあなたを、まず受け入れてみませんか?
関連記事