「同情」。

Titania

2011年08月16日 10:59

私が、やっと辿り着いて見つけた自分の目標。





でも、

そこに行きつくには、

大きな、自分の中の障害があることも、ほぼ同時に分かりました。















私は、基本、誰に対しても、

友人であっても、

娘やダーリンや家族であっても、

「同情」は、全くしません。





ご相談に来られるクライアントさんであっても、

「同情」はしません。





ただ、どなたにも、「同調」はします。

その瞬間、

「同調」することで、

「共鳴」しやすくなり、

心の底から思いやることが出来るように、です。





「共感」「共鳴」することで、

その方の感情が、どわっと入ってきて、泣いてしまいそうになることも多々あります。

でも、

「同情」だけはしないのです。















「同情」出来ない私は、

たまに自分で、

「冷たい奴」だ、と思ったりします。





大多数の方々が、

「同情」を求めていらっしゃるし、

その「同情」によって、

自分では無いところに原因を持っていきたいと願っていらっしゃるから、

だから、あえて、

「同情」はしたくないのが、私の本音です。















でも、

先日、分かったことがあります。





「同情」をしたくない理由。

それは、

私が、自分以外の人に対して、「信頼」をしていないから、

だから、

したくない、出来ないのだと。





相手の魂の奥底では無く、

今の、現在のその人を見てしまうことで、

甘えや弱さを見抜いてしまうことで、

「同情」では、

「今」のその人には、

何の学びももたらさないと感じてしまっているから。





でもね、

その人がそのことに気が付き、学ぶ時期が、

「今」じゃないなら、

「同情」しなくても気付かないし、

「同情」しないから、寂しく感じられたり、悲しく感じられたり、

さらには、

「自分を受け入れてもらえていない」

と、攻撃的になられたり。。。。。

まぁ、お互いに良いことは無い訳で。





だったら、

もっと、その人の魂を見て、

「信頼」して、

「同情」しても、

良いのかもしれないよね。





これを書きながら、気が付けましたよ。

ありがとう。















あーーー、

でも、

新しくカルマは作らないようにしないといけないから、

ここは、もっと細やかに考えないといけないってことだな。





単純に、

「100」か「0」かでは、行かないもんだねぇ。





やっぱり、人生は難しいもんだよ。







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