『自己責任』と『罪悪感』
私は、
「すべての起きる事柄は、すべて『自己責任』で受け止めるべきである。」
と思っていますし、
そうお伝えしています。
でも、
最近の世の中では、
『自己責任』という言葉が、
どうしても納得できない方や、受け入れられない方が多いようです。
私は、
そういう方々が、
どうして受け入れられないのかが、理解が出来ませんでした。
もう一つ理解できないのは、
「頑張って!」の声掛けもダメな方がいらっしゃる部分だけど、これは、また別の機会に。。。。
『自己責任』という言葉が、受け入れられない方は、
もしかしたら、
「あなたが、今、嫌なことが起きているのは、それは、あなたの行いが悪いからよ!」
という風に、
受け取っていらっしゃるのではいでしょうか?
これだったら、
誰だって嫌だし、受け入れたくなくなりますよね。
私だって、そう解釈したら、
「別に、私は何も悪いことなんてしてないのに!」
って言いたくなるでしょう。
だって、
まるで、罪をかぶっているような、
自分が罪人のような、
自分が悪い人のような、
そんな風に感じちゃいますしねぇ。
でも、これは、
自己否定の感情が引き寄せる解釈の内容なのです。
本当の、ニュートラルな解釈は、そうでは無いのです。
自己否定は、
自信の無さから、自己信頼を奪ってしまいます。
そして、
『罪悪感』をもたらすのです。
誰かに非難されたり、非難されたり、
もしくは、
誰かに蔑まれたり、馬鹿にされたり、
そんなことから、
あなたは、
今の現状の人生を悲観したり、不満を感じたりしているのでしょうか?
あなたの人生は、あなたのもの。
あなたが、その現状に納得して、受け入れていれば、
誰に何と思われようと、
どうでも良いことですよね。
そうではなく、
自分自身で、今の現状の人生を、
どうしても納得できなかったり、不満を感じているのであれば、
あなたが動けば、すべては変化します。
大きく動けば、大きく変わるし、
少しだけ動いても、何かしらは変わります。
そうやって、
誰かに支配されているような、そんなありもしない呪縛?から、
自分自身で選択して生きるという、
『自己責任』の世界で生きれば良いだけなのです。
「でも、病気など、そんな抗えないような内容のときは、どうするの?」
とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。
そんな時にこそ、
人の、他人の主観では無く、
あなた自身の主観を、変えるのです。
誰もが聞いたことがある例え話に、
「コップに水が半分ほど入っています。
半分しか入っていないと思うのか、半分も入っていると思うのか。
これは、あなたの心次第です。」
というのがありますよね。
同じ事実を、
立場を変えれば、見方が変わり、
見方を変えれば、思いが変わる。
ただ、これだけです。
あなたの主観は、
誰かが変化させて変わるものではありません。
あなたが、
自分自身で、
変えようと思わなければ、変わろうと決めなければ、
変わらないのです。
私は、人の生き死にであっても、
その人が周りに与える影響を、もたらす感情を、
すごく大きなことだと、
よく感動させてもらっています。
その時期とタイミングなども含めて、
その方の人生の素晴らしさや、シナリオの素敵さを、いつも感じます。
すべての事柄には、
「良い」も「悪い」も無いと思うのです。
そして、
すべての事柄には、
表裏一体で、「裏」と「表」があり、
そこには、
同じように「良いことも」「悪いことも」含んでいたいりします。
そこを、
あなた自身が、どこにフォーカスして生きるか。
それだけなのではないでしょうか。
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