本当に取られているのか?
「聖なる予言」の勉強を、もう何年も続けています。
うちでも、
グループでのワークショップとして、
サポートもさせてもらっています。
「出来上がっている」訳ではない私が、
サポートをさせて頂いているので、
当然、
日々、私自身も、
考え、悩み、学び、実践する、を
繰り返しています。
昨日、母から電話がありました。
去年の年末から、ちょっと気が付いていたこと。
それは、
母との電話の時に、
まず、
出だしから、私はイライラしてしまう。
言い出し始めから、話の内容まで、
気を使われているようでありながら、
結局は、
母が、私にさせたいという内容を了承させられてしまうという流れ。
そして、
その電話を切った瞬間、
私は、必ず、
娘にあったっている。。。。
ほんと、
切った瞬間に、娘の何か文句を言ったり、何かを怒ったり、、、、。
母から、ごっそりと取られたエネルギーを、
今度は、私が、
娘から、ごっそりと奪うように、、、、。
最悪な循環だ。
「やらかしているな。。。。」
と去年気が付いた。
でも、
瞬間的にやってしまうから、まだ止めるすべさえ浮かばない。
でも、止めないといけない。
もう、止めよう。
それで、
昨日の夜、色々と考えてみた。
私は、母に、
加害者にさせられるのが、とっても怖いのだ。
まぁ、逆から言えば、
加害者にさせられるという、被害者意識とも言えるんだろう。
母を不幸にしているのが、私や父であると、
そう言われている気が、
もう、子供の頃からしているのだ。
だから、
どうしたら、母に責められないでいられるか?
そればかりで生きてきた気がする。
たぶん、
娘としての責任を通り越しているかもしれない。
そして、
本当に、私は、母からエネルギーを取られているのか?
これも、考え直してみた。
私が勝手に、恐怖心から、
エネルギーを取られているように感じて、
エネルギーを流出させているだけでは無いのか?
母のコントロールドラマに、
勝手に私が参加しているのかもしれない。
無意識の私が、
瞬間的に、
その立ち位置を選んで、
昔取られていたからなのか?
今も、取られてしまうんだ!と、
思い込んでいるのかもしれない。
母に責め込まずに、
このコントロールドラマの癖から脱出できるのか?
いや、脱出しないと、
娘に、私は、またやらかしてしまう。
これは、もう止めたいのだ。
母たちの年齢になると、
もう、生き方を変える気は無いらしい。
これは、
母と話していて、そんな言葉を言われたので、
誰しも、とは言えないのだろうけど。
だから、
母は、こんな生き方しかしてきていないのだから、
だから、
私が合わせる、受け入れるしか、無い、
と言われているような、そんな話だった。
コントロールドラマを名指して、母に伝えることを、
何度かやってみたことがある。
その時に、
愛を持って、愛のエネルギーを注げたのかは、自信が無いのだけれど、
全く効果は感じれなかった。
その後も、
何度も、同じような話ででも、
同じような流れになる。
客観的に見ていくと、
分かっていることは、
本当に母が欲しいものは、
私からではなく、
父からの愛情と、安心と、安定なのだということ。
だから、
私がどう頑張ったって、私の努力は報われないのだと、
そう感じてしまった。
母も、寂しいのだと、
それは理解できる。
でも、
母の言動は全てが無意識で、
その中で、
母自身が寂しいから、私の娘にも、同じような思いをもたらそうと、
無意識に、
娘に、私からの愛情は無いような、そんな表現をして、
娘を不安から恐怖へと突き落とすのだ。
娘は、もう、
そんな母の毒気で何度もやられてしまって、
実家に泊まりたくない!
と言い出すほどなのだ。
これは、母が悪い!という簡単な内容では無く、
完全な家系の因縁なのである。
だから、
まずは、私が理解して、
私自身も、もう既に刷り込まれている部分を変えなければいけない話だし、
娘と二人で、
母のコントロールドラマに参加しない方法を、
もう実践的にやって行かなければいけない、
そんな時期に来ているのだ。
でなければ、
また、
私から娘へ、
娘から、また更に、、、、と、
家系の因縁として繋いでしまう。
繋がない!
と決めて、
実践していくしかない。
関連記事