年を取ること。
仕事での私では無く、
プライベートの部分の、私のお話です。
大人になるにつれて、
色々な経験をして、
色んな思いや、沢山の感情を理解出来るようになってきました。
そんな中で、
私の中で、明らかに変化したことが、
いくつかあります。
それは、
色んなタイミングで、
自分から発信する言動の一つである、
「言う」か?
「言わない」か?
ということ。
例えて言うなら、
若かりし頃の私は、
学生の頃から30歳くらいまで、
「もし、友達の彼氏やご主人が、誰か他の女性とホテルから出てくるのを見たら?」
(浮気確定の現場を見たら、という例えです。)
という仮定の出来ごとに対して、
「それは、その友達に報告しないと!」
と、本気で思っていました。
これは、
私自身も、本気で、
「真実が大事!!!」
と思っていたし、
「真実が、必ず幸せに繋がる!」
と思っていたからです。
今考えれば、何と幼いことでしょう。。。。
その後、
今の仕事に就いて、
自分を癒すことにも、加速して進め始めて、
考えが変わって行きました。
35歳辺りの頃、
今度は、
「友達には言わないけど、その彼・もしくはご主人に釘を刺し、誠意を持って友達に接して欲しいと頼む。」
となりました。
これも、
友達には知られないままに、
彼・もしくはご主人が、誠意を持って考えてくれて、
友達にとって、最悪な状況を避けられれば、、、、、と考えてのこと。
でも、
これも、今の私から見れば甘くって。。。。。
で、
今の私は、、、、、
そんな状況を知っても、見ても、、、、、
見なかったこと、
無かったこととして、
胸に一生納める!!!!
と決めています。
真実は、優しくは無いことが多いことを知ったからです。
そして、
誰もが、
真実を知りたいとは、
心の奥底では思っていないことが多いということも知ったから。
それ以外にも、
女性のプライドというものも、とても厄介であることも、
奥深く知ったこともあります。
本当に、友達を思うのなら、、、、、、
という、基本に立っても、
思いは同じだったのに、
経験値によって、
ここまで、私の言動は変化しているのです。
面白いですよね。
もう一つ、変化したことがあります。
それは、
学生時代の友人で、
私を嫌って、いじめていたと感じられる、
その友人に、
「何で、そんなにも私のことをいじめていたのか?何が気に食わなかったのか?」
を、
ずっと分からなくって、知りたいと思っていました。
いつか、再会したら、
恨みつらみでは無く、
笑って訊きたいと、そう思っていたのです。
でも、
これも、
上記と同じ時期に、思いが変わって行ったのです。
35歳辺りでは、
そのいじめ?のお陰で、
私の中の、
今世での生き方や指針のようなものが形成されたことに気が付き、
そのご縁の深さを感じて、
「感謝」の気持ちが湧いてきたのです。
なので、
このときには、
「いつか話せたら、感謝を伝えたい!」
と思っていました。
これも、
今考えれば、何と、自分本位な考えでしょうね。
その後、
今は、
また変化して、、、、
「もう、何も言う必要は無いんだ。」
と理解しています。
これは、どういうことかというと、
どの段階の私の気持ちは、
全て、自分がどうしたいかによって行いたい言動で、
「知りたい!」
「伝えたい!」
という私の欲です。
でも、
その友人は、
たぶん、
私をいじめていたつもりも、記憶も、無いようなのです。
なぜなら、
大人になって、何度か再会して、
その度に、
どちらかというと彼女から友好的に接してくれていて、
今の彼女からは、
全く悪意を感じないから。
覚えていれば、
こんな言動は無いだろうと、やっぱり思うのです。
でも、
覚えていたとしても、結局は、どうでも良いことなのですよね。
どちらにしても、
大人になった私が、
今になって、過去のことを、
「どうしてだったの?」
や、
「ありがとう!」
やら、
言って、その友人にとって何になるのか?
どう考えても、
相手には不要なお話しで、
私の欲求だけを満たしたいだけの言動なんですよね。
こんな風に、
同じ事柄を見ても、
経験が増えて、思慮が深くなって行くと、
行いたい言動が、
ここまでも変化していくのですよね。
年を取るということは、
経験が増えるということ。
だから、
私は、
年を取ることは、
楽しく、面白く、魅力的なことだと、
そう思うのです。
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