私は、人との共通点が、かなり多くあります。
趣味でも、そうだし、
興味でも、そう。
まぁ、好奇心旺盛で、
さらに、何でも、キチンと手は出すし、
やったらやったで、ある程度まで出来ないと気が済まないから、
ま、何でも、それなりに、こなせます。
よく言う、器用貧乏的な部分は多いですね。(笑)
だからか、
どなたとでも、色々な会話が出来ます。
年齢も、様々、行けます。
そりゃー、性別も、お構い無しに対応できますよ。
と言うことで、
どなたとでも、「共鳴」・「共感」しやすいと言うこと。
逆に、
どなたから見ても、
「似たところ」や、
「共感できる」ところを、
見つけるのが容易いともいえます。
だからだとは思うんですけど、
ブログ上でも、
実際にお会いしてでも、
「Titaniaさんと、いつも同じように思っているんです。」
とか、
「いつも、ブログで、そうそう!って共感しながら、うなずいているんですよ。」
とか、
「Titaniaさんと、私、とっても感性が似ているんです。」
とか、
言って頂けます。
これは、私に興味を持って頂けているという、
嬉しいお話でもあります。
でね。
このことで、ずーっと疑問だった事があったんです。
それは、
私と共通点や、
共感する部分や、
何かしら、「同じ!」と思われると、
そこに執着される事や、方が、多いことなんです。
「なぜに、そこまでの執着なのか?」
これが、どうしても理解できなかったんです。
どなたででもって訳ではないんです。
ある数人?
ある種類?
ある性格において?
まぁ、どちらにしても、その方たちは、共通点があられて、
そこは、ここでは詳しくは書きませんが。。。。。
そういうタイプの人の中には、
「Titania教」とでも言いますか、
まるで宗教的に狂信的になってこられる傾向があったりもあり、
そうなってこられると、
それを、いつも、
「不思議」&「危険?」な感じに感じていました。
ついでに、
なぜに、「危険?」な感じにまで感じるのか、、、、は、
その後、
なぜか、ほとんどの、その執着が出られた方が、
今度は、私に、「憎悪?」のような、
何だろう、、、、
「越えたい!」感覚なんでしょうか?
別に、そこに、上下は無いはずなのに、
勝手に
「踏んで、踏みにじって、乗り越えて行きたい!」
感じになられるようです。
だから、
なぜか、私に対して攻撃性が出てこられて、
「危険?」な感じになるのですよね。
これは、
直接会っていない人でも、実際に起きているんですよね。
不思議でしょう。
依存性が高いと、
攻撃性が高くなりやすい。。。。
そして、
依存から、
基準が、フォーカスするポイントが、
その誰か、
自分ではない外に作ってしまわれる。
そうなると、
その、自分ではない誰かに、
「認めてもらいたい!」
「認めてもらわないと満たされない!」
になって、
私みたいに、簡単に認めたりしないタイプだと、
最初は良く見えていても、
後から、
「なぜに自分を認めない!」
と、
寂しさや悲しさから、怒りに変容するようです。
難しいものですよね。
話は戻って、
で、その「共感」・「共鳴」から、
「執着する」流れになる理由が、先日、判明したのです!!!
私の見た目が好きな方が、いらっしゃるとします。
背が低かったり、
髪が長かったり、
肌が白かったり、
何か、見た目で、「同じ」共通点を持っていらした場合、
「私、Titaniaさんと似ていると思うんだよねぇ。」
となるらしい。
私の考え方や、価値観などが、お好きな方は、
アロマテラピーを生活に取り入れているとか、
ホメオパシーでも良いですよね。
あと、
好きな女優さんが一緒だったり、
好きなブランドが一緒だったり、
何かが、興味が「同じ」だと、
「私、Titaniaさんと、何だか似ているんだよねぇ。」
となるらしいのです。
今なら、
たまたまカーテンを同じ日に洗っているとか、
たまたま草むしりをした日が一緒だったとか、
たまたま洗車した日が一緒だたとか、
そんな共通点でも、
「わー、何だか同じことしてるー!何かのご縁だー!感性や感覚が一緒なのかなー。」
みたいになったり。。。。
それ以外では、
もう、影響を受けてしまわれ過ぎていて、
それを気が付かずに、自分の物とされていて、
逆に私が真似していると思われているくらいの場合も、たまにあるけど、
それも別に良いんです。
人間ウォッチング好きの私からしたら、
面白いし、楽しいしね。
で、これが、
私からすると、
「たったそれだけの共通点で、なぜ???」
と思っちゃって、
とっても不思議だったんですよ。
だって、
私から見ると、
本当に、
「たったそれだけ」のことだし、
それは、
私の中の、ちょっとした部分だし、
私にとっては、指先一つ分、爪の先一つ分にしかならない、私の部分。。。。
「なのに、なぜ?」
とね。
私にとっての、100分の一や、1000分の1の部分が、
その人と一緒でも、
まったく、私とは異なるはず。。。。でしょう。
でもこれが、
その部分が、
その人の、5分の1を占めていたら、
いや、
3分の1を占めていたら。。。。
そりゃー、もう、私と双子かと思われるかもしれませんよね。
この感覚を、
やっと知って、理解できました。
経験や、価値観などが、
もったいないことに、
狭くなっていると、
そうなっても、仕方のないこと。
それとは別でも、
今まで、
誰も、その人のことを、受け入れて、尊重してこなかったなら、
私が、その人に対して、
その人から見て、
「生まれて初めて出会った、自分を受け入れて尊重してくれる人」
であったならば、
そりゃー、執着もしますよね。
「やっと、私を認めてくれる人が出てきた!」
とね。
でもね、、、、
本当は、もっと沢山、
その人を受け入れて尊重していた人、居たんだと思うんですよ。
ただ、その人が、
相手を選んでいて、
「この人に認められてもねぇ。」
と、
受け入れてこなかっただけで。。。。
まぁ、こういう悩み?も、あったんですよ。(笑)
変な悩みですかねぇ。
でも、
やっと理解が出来て、スッキリしたんですよね。
ただ、誰かを基準に生きることは、
段々、
苦しくなると思うんですよね。
だって、常に、その誰かと、自分を刷り合わせている訳で、
そうすると、
無意識の自分は、
自分自身の、そのまんまの素の自分を、見てもらえていないことを知っているから、
どこかで自己卑下として収まる。
そうなると、
ずーっと満たされない。
これじゃぁ、
どこまで行っても、辛いばかりのような気がするんですけどねぇ。
どうなんでしょうかねぇ。