「不安」と「信頼」。

Titania

2013年02月20日 11:39

ふと思ったこと。















私は、いつもここで書いているが、

「不安」から、一生懸命に何かをしてしまう。





それは、

恋愛でなら、

「離れられたくないから」

であったり、

「思いを理解して欲しい」

であったりなのだ。





でも、それは、

どれにしても、まず、

「相手の気持ち」

や、

「私を理解してくれている」

という、

相手の範疇に対して、

私が、

「信用・信頼」してい無いってことなのだと。





私は、

主人との問題が起きた時に、

いつも、自分が悪い訳ではないのに、自分から積極的に動く。

それは、

電話や会話であったりで、

その時間と機会を、

私から出来るだけ作るのです。





でも、

よく聞く話では、

巷の女性は、そんな時は相手の出方を待つらしい。





「待つなんて、、、、、そんなこと出来ない!」

と、

いつも思っていた。





そこには、

上記に書いた気持ちがあったから。





常に、自分が愛されている自信が無かったのだよねえ。

でも、

逆を言えば、

自信が無いのでは無くって、

相手の気持ちを「信用・信頼」していなかったんだよね。

自分を思ってくれているってことに「信用」出来なくって、

「信頼」なんて、持てる余裕も無かった。















女性は、

自然界では「大地」と例えられることが多い。





昔の例えなら、

「男は船。女は港。」

ですねえ。(笑)





どちらにしても、

女性は、動かずに、そこに居ることが魅力のようだね。

ただ、そこに留まって、

そこで、いつも常に居る。常に待つ。。。。

それが、

男性には「安心」に映るのだろうか?





「与えた物しか戻ってこない」

「与えたものだけが与えられる」





それが真理であれば、

「安心」を与えなければ、

「安心」はもらえない。





「信用・信頼」をしていなければ、

「信用・信頼」してもらえないのだろう。














んーーーー。





まだまだ、ドシンと、そこに留まって待つことは苦手だけれど、

ちょっとだったら、

出来るようにはなれそうだ。





それは、

どこか、少しだけ、主人に対して「信用・信頼」をし始めて、

それを、

小さな確信として、

本当に、一つまみ程度かもしれないけど、握れるようになってきたからだと思う。





そこには、

「誰もが皆、神が創造したままの存在である」

と、

それを肯定して、受け入れてみて、感じてみたことも大きい。





恋愛で無くても、

ここ最近、ある人との関わりの中で、

「こう思われているんじゃないか?」

と、

マイナスに考えていたのだけれど、

悪く思われたくない私は、

何かしらの動きをしたくなる。





「連絡を取ってみようか?」

と、

今、何か連絡を取る用事も必要も無いのに考える。





そこには、

相手が、マイナスの感情を持つと、そう思い込んでいる私が居る。

それは、

相手にも、

自分自身にも、

「信用・信頼」していない証拠。





「私も、その人も、神が創造したままの存在である」

と理解すれば、

受け入れれば、

何も「不安」を感じる必要は無いのだ。





もし、ご縁が無くなろうとも、

もし、一時的にでもご縁が途切れようとも、

それは、

そこに意味があり、

そこに執着する必要は無いのだ。





全ては、

成るようになっているし、

必要なことしか起きないのだから。















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