2015年10月05日
子育て。
先日、ふと生徒さんと話していて気が付いたこと。
私は、
私を育ててくれた両親の子育てを批判して、
その反対に、
私が、「そうしてもらいたかった」育てられ方を、娘に対してしてきたんだと、
それに気が付きました。
いやーーーー、これ、無意識で、そうしていました。
子育ての、一番最初の、
「母乳で育てる!それも完全母乳で!」
っていうのが、
無意識で、自分がそうしてもらいたかったところからの選択だったことは、
ある時に気が付いていましたが、
それ以外の、全ての子育てに対してまでもが、そうだったとは、、、、
これまた、
知らず知らずに棚上げしていて、気が付いてはいませんでした。
でね、、、、
今、思うのですよ。
私は、自分の両親の子育ては、
「私にとっては、最善で最高だった!」
とね。
たぶん、私は、
一人で、独立心を持って、生きたかったんだろうと。
もし、前世があるとするなら、
人とのしがらみやら、家族とのしがらみ、役割やら、そんなことに、
もう飽き飽きだったのかもしれません。
しがらみが少なく、誰かと比べられることも無く、一心に愛情を受けて生まれ、育ちたいと、
そう願っていたような気がします。
その上で、
自分の実力を知ったり、一人で何かをやってみたり、
そんなことを経験したかったのではないだろうか?
誰とも比べられない環境が良かったから、一人っ子で、
いとこも、年が離れていたり、住んでいるところが離れていたり、
両親も、誰かと私を比べることも無く、
ある意味、自由に、放任に近い形で育ててくれた。
私は、
誰に言われるでも無く、
独立心を持ち、一人で何でも考えて、一人で決めては、何でも事後報告だった。
それを、寂しいとも、孤独とも思わずに。
それはそれは、
私の望む、育てられ方と、育ちたかった環境だったのではないかってね。
でも、私は、
そんなことを意識もせずに、色んな情報やら知識を持ち始めて、
勝手に、他人の家庭と比べたりして、
「私って、愛されていない。。。。」
とか、思い出して、
そう思いたい現実を、選択して、見始めた。
はぁ、、、、
要らん情報と、要らん知識は、器が定まるまでは毒ですねぇ。笑
で、今度は私の子育て。
娘は、私と真逆で、寂しがり屋です。
そんな娘を、
私は、私がして欲しかったと思い込んでいた、
「手を掛ける、気を掛ける、子育て」
で育てました。
まぁ、傍から見れば過保護かもしれません。
でも、
寂しがり屋の娘にとっては、
そんな私の子育てでも、それでも足りないくらいに感じている様子。
それでも、
もしかしたら、娘も、
色んな知識やら情報やらを持ちだして、
例えるなら、
「もっと手を掛けてくれないでいたなら、
自立心も出て一人で何でも出来るようになっていたかもしれないのに!」
とか、思っちゃったりしているのかもしれません。笑
はい!私とは真逆な感じでですね。
ただ、憶測ですけど、
みんな、自分の望む環境やら境遇やらを選んで生まれているんでしょうね。
そう言われてきて、そうなんだろうな、って思ってきたけど、
やっぱりそうなんだろうと、
本当に、そう、実感しているのです。
なので、
私の娘への子育ても、ダメじゃないのかもしれない。。。。
ただ、今、この頃は、
そろそろ自立の時期だな、、、って思って、接し方を変えることも多々。
それさえも、
時期到来であったり、時期とタイミングであったり、するのではないだろうか?
全ては、成るようになっていて、
万全な時期とタイミングで起きている。。。。
そう感じているのです。
私は、
私を育ててくれた両親の子育てを批判して、
その反対に、
私が、「そうしてもらいたかった」育てられ方を、娘に対してしてきたんだと、
それに気が付きました。
いやーーーー、これ、無意識で、そうしていました。
子育ての、一番最初の、
「母乳で育てる!それも完全母乳で!」
っていうのが、
無意識で、自分がそうしてもらいたかったところからの選択だったことは、
ある時に気が付いていましたが、
それ以外の、全ての子育てに対してまでもが、そうだったとは、、、、
これまた、
知らず知らずに棚上げしていて、気が付いてはいませんでした。
でね、、、、
今、思うのですよ。
私は、自分の両親の子育ては、
「私にとっては、最善で最高だった!」
とね。
たぶん、私は、
一人で、独立心を持って、生きたかったんだろうと。
もし、前世があるとするなら、
人とのしがらみやら、家族とのしがらみ、役割やら、そんなことに、
もう飽き飽きだったのかもしれません。
しがらみが少なく、誰かと比べられることも無く、一心に愛情を受けて生まれ、育ちたいと、
そう願っていたような気がします。
その上で、
自分の実力を知ったり、一人で何かをやってみたり、
そんなことを経験したかったのではないだろうか?
誰とも比べられない環境が良かったから、一人っ子で、
いとこも、年が離れていたり、住んでいるところが離れていたり、
両親も、誰かと私を比べることも無く、
ある意味、自由に、放任に近い形で育ててくれた。
私は、
誰に言われるでも無く、
独立心を持ち、一人で何でも考えて、一人で決めては、何でも事後報告だった。
それを、寂しいとも、孤独とも思わずに。
それはそれは、
私の望む、育てられ方と、育ちたかった環境だったのではないかってね。
でも、私は、
そんなことを意識もせずに、色んな情報やら知識を持ち始めて、
勝手に、他人の家庭と比べたりして、
「私って、愛されていない。。。。」
とか、思い出して、
そう思いたい現実を、選択して、見始めた。
はぁ、、、、
要らん情報と、要らん知識は、器が定まるまでは毒ですねぇ。笑
で、今度は私の子育て。
娘は、私と真逆で、寂しがり屋です。
そんな娘を、
私は、私がして欲しかったと思い込んでいた、
「手を掛ける、気を掛ける、子育て」
で育てました。
まぁ、傍から見れば過保護かもしれません。
でも、
寂しがり屋の娘にとっては、
そんな私の子育てでも、それでも足りないくらいに感じている様子。
それでも、
もしかしたら、娘も、
色んな知識やら情報やらを持ちだして、
例えるなら、
「もっと手を掛けてくれないでいたなら、
自立心も出て一人で何でも出来るようになっていたかもしれないのに!」
とか、思っちゃったりしているのかもしれません。笑
はい!私とは真逆な感じでですね。
ただ、憶測ですけど、
みんな、自分の望む環境やら境遇やらを選んで生まれているんでしょうね。
そう言われてきて、そうなんだろうな、って思ってきたけど、
やっぱりそうなんだろうと、
本当に、そう、実感しているのです。
なので、
私の娘への子育ても、ダメじゃないのかもしれない。。。。
ただ、今、この頃は、
そろそろ自立の時期だな、、、って思って、接し方を変えることも多々。
それさえも、
時期到来であったり、時期とタイミングであったり、するのではないだろうか?
全ては、成るようになっていて、
万全な時期とタイミングで起きている。。。。
そう感じているのです。
Posted by Titania at 18:15│Comments(0)
│子育て・親育て
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