2011年09月06日
新しく「カルマ」を作らない。
このお話は、その段階にある方でしか分からないかもしれませんので、
難しいと感じた方は、
こんな段階もあるのだな。。。。と、
ちょっと片隅にでも置いておいてくださいませ。
私は、
生きていく上で、
日常で、
出来るだけ、全ての「カルマ」を解放することに意識を置いています。
「カルマ」は、
「業」と解釈されますが、
「業」は、
「行い」ということであり、
自分の行ってきた言動という事で、
別に、罪ということばかりではないと言われています。
ダーリンや娘には、
つい、
「次に一緒に居れるとは限らないから。。。。」
という思いを思いつつ、
伝えられること、
してあげたいこと、
感じて欲しいこと、
私で無いと出来ないこと、
などなど、
勝手な私のエゴと欲求の中、行動しています。(笑)
そんな風に過ごしながら、数年前から感じているのは、
『新しい「カルマ」を作らないようにしたい!』
ってこと。
前世やご先祖が作った「カルマ」を担ってはいますが、
新しく、
今世の自分が、
それとは違う、解放が必要な「カルマ」を作ったら、
荷物を減らしている気でいたけど、荷物は増える一方だった。。。。って、
ならなくはないですよね。
これじゃあ、頑張って生きているのに、甲斐が無い。
そんなことを、考えています。
まぁ、それも、また学びだ!と仰る方もいらっしゃることでしょう。
自分が、意識していようが、意識していなかろうが、
誰かに与える影響。
これが、とっても気になる私。
影響をさせたくなければ、
こんなブログさえ書かなくても良い話しだし、
でも、書きたい私。
誰かが読んでいてくれていることを喜んでいる私。
このブログから、
誰かしらが影響を受けて、何かしらの影響が起きていることも喜び、楽しんでいる私。
矛盾ですねぇ。
まぁ、そんなこともあって、ブログの内容やUP数は制限し始めてもいますけどね。
ただ、私の勝手な個人的な感覚でですが、
「これは、ダメ!」
「これは危険!」
「ここは良いけど、ここからはダメだね。」
のような、
本当に感覚的な漠然とした線引きはあるようです。
その中の一つには、「お世辞」。
元々、昔っから、最初っから出来なかった「お世辞」。
正直だと言えば聞こえは良いけど、
大人としては如何なものか、、、?と、悩むところでもありましたが、
今となっては、
この目線で見ると、出来ない理由が、
「言ってはいけない!」
という理由として納得してます。
誰が言っても同じに受け取る人と、
ある特定の人の言葉しか聞き入れない人。
そんな特別意識が強い人に対してが、対象のようです。
「私って特別ですよね?」
「私って凄いでしょう?」
と、
私(Titania)に言わせたい、言われたい方が、稀に、いやいや実は意外といらっしゃる。
そういう方には、
私的に、危険を感じるので、その方が望んでいらっしゃる言葉は、絶対に私は言いません。
まぁ、思ってもいない言葉は口から出ませんしね。
そういう方は、
どうせまた、他を当たって探されるから、私じゃなくって良いなら、それで良いでしょうし、
その方が、私にとっては助かるし。
そんなことに基づいて、、、なのか、
私が意識して行っていることに、
『「認定」を欲しい人に、「認定」をしない』
があります。
「Titania認定」
みたいなものが欲しい方、意外といらっしゃるんですよね。
「どこで学んだか?」
「誰から学んだか?」
確かに、それは、どこでも良い訳では無いのは分かります。
私も、そう思っています。
でも、
オリジナルに開花される方もありますから、
それよりも、
「その方自身」が、
そこから癒されて、クリアーになっていることの経緯、経過の方が大切だと思うのですよね。
だから、
認定や肩書きなど、そのような安心を欲して、うちに来られる場合、
どうしても私は分かってしまうので、
申し訳無いけど、お断りしています。
アロマも、レイキも、全て、、、、、です。
だって、
後々、その方が、
「私は、Titaniaさん公認です。」
とか、
「Titaniaさん認定です。」
とかでビジネスをされた場合、
常に、これは、その方が意識していなくても、ご存じなくても、
エネルギー的に、
私のラインを使われることとなるので、
この方が「カルマ」を作られたら、
私の「カルマ」にもなるんですよね。
私が、レイキティーチャーを作らないのも、
これが理由です。
お金では無く、
お金では、あとで、どうしたって解決出来ない「カルマ」代と考えたら、
ティーチャーを伝授することって、
とっても重いし、
怖いでしょう。
そして、
実は、そこまで責任を負うことも、マスターの技量だとも思うのです。
私は、
そこまで担える存在ではないし、そこまで行く気もないのです。
ついでに言うと、
私の旦那様や、娘にも、
こういうのって、影響しちゃうのですよね。
「Titaniaさんの旦那さん」
「Titaniaさんの娘さん」
そんな風に、
人様から見られること、あるようです。
それによって嫌な思いをすることもあるでしょうけど、
逆に、
奢りや、特別意識を持たなくもないとは言えないでしょう。
ここを、
二人には詫びつつ、伝えなくてはいけないところ。
人と関わって生き、
人と影響し合って生きること。
これは、どうしたって逃れられないもの。
影響を受けないなんて、
どう転んだって出来ないし、
逆に、
影響を与えないことも、絶対に無理。
その中で、
どこまで先を見て、生きて行くのか。
これも、段階ではありますが、
見れる段階であれば、
周りの人と同じ目線より、もう一つ先まで、二つ先まで、見て、
生きていくこと。
「そんなところまで考えて生きるなんて、そんな面倒で難しいこと、出来るわけ無い。。。。」
そう思われる方は、
それで良いんだと思います。
でも、
「そうは分かるけど、でも、、、、、」
という方は、
もう、本当は、
能力的に、潜在的に、理解して出来る段階かもしれません。
出来れば、努力してみて欲しい。
これは、生き方として、とっても大切なのだと、そう思うのです。
難しいと感じた方は、
こんな段階もあるのだな。。。。と、
ちょっと片隅にでも置いておいてくださいませ。
私は、
生きていく上で、
日常で、
出来るだけ、全ての「カルマ」を解放することに意識を置いています。
「カルマ」は、
「業」と解釈されますが、
「業」は、
「行い」ということであり、
自分の行ってきた言動という事で、
別に、罪ということばかりではないと言われています。
ダーリンや娘には、
つい、
「次に一緒に居れるとは限らないから。。。。」
という思いを思いつつ、
伝えられること、
してあげたいこと、
感じて欲しいこと、
私で無いと出来ないこと、
などなど、
勝手な私のエゴと欲求の中、行動しています。(笑)
そんな風に過ごしながら、数年前から感じているのは、
『新しい「カルマ」を作らないようにしたい!』
ってこと。
前世やご先祖が作った「カルマ」を担ってはいますが、
新しく、
今世の自分が、
それとは違う、解放が必要な「カルマ」を作ったら、
荷物を減らしている気でいたけど、荷物は増える一方だった。。。。って、
ならなくはないですよね。
これじゃあ、頑張って生きているのに、甲斐が無い。
そんなことを、考えています。
まぁ、それも、また学びだ!と仰る方もいらっしゃることでしょう。
自分が、意識していようが、意識していなかろうが、
誰かに与える影響。
これが、とっても気になる私。
影響をさせたくなければ、
こんなブログさえ書かなくても良い話しだし、
でも、書きたい私。
誰かが読んでいてくれていることを喜んでいる私。
このブログから、
誰かしらが影響を受けて、何かしらの影響が起きていることも喜び、楽しんでいる私。
矛盾ですねぇ。
まぁ、そんなこともあって、ブログの内容やUP数は制限し始めてもいますけどね。
ただ、私の勝手な個人的な感覚でですが、
「これは、ダメ!」
「これは危険!」
「ここは良いけど、ここからはダメだね。」
のような、
本当に感覚的な漠然とした線引きはあるようです。
その中の一つには、「お世辞」。
元々、昔っから、最初っから出来なかった「お世辞」。
正直だと言えば聞こえは良いけど、
大人としては如何なものか、、、?と、悩むところでもありましたが、
今となっては、
この目線で見ると、出来ない理由が、
「言ってはいけない!」
という理由として納得してます。
誰が言っても同じに受け取る人と、
ある特定の人の言葉しか聞き入れない人。
そんな特別意識が強い人に対してが、対象のようです。
「私って特別ですよね?」
「私って凄いでしょう?」
と、
私(Titania)に言わせたい、言われたい方が、稀に、いやいや実は意外といらっしゃる。
そういう方には、
私的に、危険を感じるので、その方が望んでいらっしゃる言葉は、絶対に私は言いません。
まぁ、思ってもいない言葉は口から出ませんしね。
そういう方は、
どうせまた、他を当たって探されるから、私じゃなくって良いなら、それで良いでしょうし、
その方が、私にとっては助かるし。
そんなことに基づいて、、、なのか、
私が意識して行っていることに、
『「認定」を欲しい人に、「認定」をしない』
があります。
「Titania認定」
みたいなものが欲しい方、意外といらっしゃるんですよね。
「どこで学んだか?」
「誰から学んだか?」
確かに、それは、どこでも良い訳では無いのは分かります。
私も、そう思っています。
でも、
オリジナルに開花される方もありますから、
それよりも、
「その方自身」が、
そこから癒されて、クリアーになっていることの経緯、経過の方が大切だと思うのですよね。
だから、
認定や肩書きなど、そのような安心を欲して、うちに来られる場合、
どうしても私は分かってしまうので、
申し訳無いけど、お断りしています。
アロマも、レイキも、全て、、、、、です。
だって、
後々、その方が、
「私は、Titaniaさん公認です。」
とか、
「Titaniaさん認定です。」
とかでビジネスをされた場合、
常に、これは、その方が意識していなくても、ご存じなくても、
エネルギー的に、
私のラインを使われることとなるので、
この方が「カルマ」を作られたら、
私の「カルマ」にもなるんですよね。
私が、レイキティーチャーを作らないのも、
これが理由です。
お金では無く、
お金では、あとで、どうしたって解決出来ない「カルマ」代と考えたら、
ティーチャーを伝授することって、
とっても重いし、
怖いでしょう。
そして、
実は、そこまで責任を負うことも、マスターの技量だとも思うのです。
私は、
そこまで担える存在ではないし、そこまで行く気もないのです。
ついでに言うと、
私の旦那様や、娘にも、
こういうのって、影響しちゃうのですよね。
「Titaniaさんの旦那さん」
「Titaniaさんの娘さん」
そんな風に、
人様から見られること、あるようです。
それによって嫌な思いをすることもあるでしょうけど、
逆に、
奢りや、特別意識を持たなくもないとは言えないでしょう。
ここを、
二人には詫びつつ、伝えなくてはいけないところ。
人と関わって生き、
人と影響し合って生きること。
これは、どうしたって逃れられないもの。
影響を受けないなんて、
どう転んだって出来ないし、
逆に、
影響を与えないことも、絶対に無理。
その中で、
どこまで先を見て、生きて行くのか。
これも、段階ではありますが、
見れる段階であれば、
周りの人と同じ目線より、もう一つ先まで、二つ先まで、見て、
生きていくこと。
「そんなところまで考えて生きるなんて、そんな面倒で難しいこと、出来るわけ無い。。。。」
そう思われる方は、
それで良いんだと思います。
でも、
「そうは分かるけど、でも、、、、、」
という方は、
もう、本当は、
能力的に、潜在的に、理解して出来る段階かもしれません。
出来れば、努力してみて欲しい。
これは、生き方として、とっても大切なのだと、そう思うのです。
Posted by Titania at 08:32│Comments(0)
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