2012年12月18日
「バランス」。
今年は、、、、
いや、今年も、なのかもしれないけれど、
若干、
集大成?的に、
総まとめ?的に、
多方向での「バランス」を取らされるように進んでいる。
今までも、
このテーマを感じていたけれど、
更に、、、、
って感じで、
深みが加わって来てるようなのです。
深いってことは、
幅が広がって、
自分のキャパも大きくさせられる感じ。
キャパが広がるって、聞こえは良いけど、
広げる作業は、
やっぱり、産みの苦しみ?のようなものはあるので、
ちょっと怯んでしまったりするものなんだよ。
仕事でも、
今までの私は、
「収入を望んだら、共依存を促すような、そんなやり方をしないと大きく稼げない」
と思い込んでいたから、
ボチボチにしか収入を得ることが出来なかった。
なんだろ、、、、
「騙して得る」的な、
そんな悪いことをしないと稼げないような、
そんな解釈をしていたから、
大きく収入を増やすことは怖くて出来なかった。
いや、
怖くて、やりたくなかった。
現実にも、
そんな仕事の仕方をしていたセラピストやらヒーラーを、
見てきたこともあると思う。
ま、
要は極端に思い込んでいたってこと。
沢山お金が欲しいなら、
騙すくらいの勢いで無いと得られない。
それをしたくなければ、
ボチボチでしか得られないことを受け入れるしかない。
ってね。
今、書きながら気が付いたけど、
父以外?
いや、身内以外の仕事のやり方は、
そんなやり方の方が多かったように感じる。
逆を言えば、
父のように「稼ぐ」ことに意識しないで、
思いやりや協力などを重んじて仕事をすることは、
素敵だし、友人とも長く繋がっているけれど、
ある意味では
「稼ぐのが下手」と見ていたし、
「上手く使われている」とも思っていた。
それを総合すると、
私の理想は、
父のように、
思いやりと、人との協力のもとに、
そして、
みんなで豊かになること。。。。。
仕事の進め方も、
どうしても、
「ここまで求めて欲しい!」
が強く、
「私を選んだってことは、ここまで行きたいあなたが、潜在的に選んでいるのだよ。」
と、
大きな目標を、先に提示し過ぎていたのかもしれない。
やっぱり、ここも極端だったのだろう。
誰しも、
進むにも、段階がある。
明確に提示し過ぎると、
どうも、人は、一足飛びに行きたくなるようで、
いや、
行かないといけないと思ってしまうのだろう。
そうなると、
自己卑下も大きくなりやすいし、
焦りやすい。
焦ってしまうと、
目先の言動が疎かになりやすかったり、
足元が見えなくなるようだ。
だから、
ザックリと、、、、、
私の生き方や、向き合い方を、ただ例として見てもらいつつ、
あとは、
その人それぞれの段階に合わせて、
さらに、
その人の目標や目的に添わせて、
たまに軌道修正も提案しつつ、
もっと、
その人を尊重していった方が良いのだろう。
もし、それが遠回りでも、
もし、それが逆に向かっていても、
そうしたいのであれば、
尊重して、見守るしかないのだろう。
ただ、
情報という形で、
お伝えすることは、出来るだけしよう。
諦めずにやって行こう。
スルーされても、
それは、
その人の無意識がさせる訳で、
その瞬間は、聞けないのだから、そこはしょうがないのだろう。
それさえも、
受け入れよう。
これも、
私の中での理想に極端に走り過ぎないようにと、
相手の理想や目標との、
双方を尊重する「バランス」なのだろう。
私のプライベートも、、、、、
ま、
プライベートも、仕事のスタンスも、
どちらも使い分けれるほど器用では無いけれど。。。。
今までは、
やっぱり極端に、
人を信じられないで生きていた。
だから、
頑張り過ぎるしか無かったのだ。
誰かのお世話になったり、
誰かを頼ることを、
喜んで生きようと思う。
頼れる人が居ることも認めて行こう。
どう頑張ったって、
一人では生きれないのだ。
努力はしよう。
でも、
頑張り過ぎないようにしていこう。
頑張り過ぎている時、
間違い無く無意識の私は、
「孤独」を感じているから。
いや、
自ら、「孤独」に入り込んでいるのだと、今は分かる。
まぁ、それも、
今まで、そうやって生きてきたから、
振り返って、
理解出来たのだ。
今までの生き方も、やり方も、
悪かった訳ではない。
「今から」の私は、
もう、その生き方は不要だということだけ。
ここも、
やっぱり、
「過去の私」と「今からの私」との、
「バランス」なのだよね。
どんな生き方も、
どんな選択も、
全てのことをジャッジせずに、
ただ見守ろう。
自分にも、
自分以外にも、
それが出来る私になろう。
相談されれば、
感じたことを、伝えれば良い。
ただ、
「私には、そう感じるんだよ。」
「私は、そう思ったんだよ。」
と、
私の理想は、ちょっと横に置いて、
情報としてだけ。
もしかしたら、
言葉には重みが無くなるかもしれない。
でも、
それも、悪くは無い。
受け取りたい人は受け取るし、
そうではない人は、
スルーしてくれる。
そんな私に、
魅力を感じなくなる人もいるだろう。
でも、
それも、良いのだろう。
外からの承認は、空虚だからねえ。
私は、
私の中の心地の良い場所を広げて行きながら、
それが、
自分以外の人にも心地の良い場所と繋がって、広がって行く、
そんなイメージを見ることが出来たから。
そこには、
「バランス」は不可欠のようだ。
いや、今年も、なのかもしれないけれど、
若干、
集大成?的に、
総まとめ?的に、
多方向での「バランス」を取らされるように進んでいる。
今までも、
このテーマを感じていたけれど、
更に、、、、
って感じで、
深みが加わって来てるようなのです。
深いってことは、
幅が広がって、
自分のキャパも大きくさせられる感じ。
キャパが広がるって、聞こえは良いけど、
広げる作業は、
やっぱり、産みの苦しみ?のようなものはあるので、
ちょっと怯んでしまったりするものなんだよ。
仕事でも、
今までの私は、
「収入を望んだら、共依存を促すような、そんなやり方をしないと大きく稼げない」
と思い込んでいたから、
ボチボチにしか収入を得ることが出来なかった。
なんだろ、、、、
「騙して得る」的な、
そんな悪いことをしないと稼げないような、
そんな解釈をしていたから、
大きく収入を増やすことは怖くて出来なかった。
いや、
怖くて、やりたくなかった。
現実にも、
そんな仕事の仕方をしていたセラピストやらヒーラーを、
見てきたこともあると思う。
ま、
要は極端に思い込んでいたってこと。
沢山お金が欲しいなら、
騙すくらいの勢いで無いと得られない。
それをしたくなければ、
ボチボチでしか得られないことを受け入れるしかない。
ってね。
今、書きながら気が付いたけど、
父以外?
いや、身内以外の仕事のやり方は、
そんなやり方の方が多かったように感じる。
逆を言えば、
父のように「稼ぐ」ことに意識しないで、
思いやりや協力などを重んじて仕事をすることは、
素敵だし、友人とも長く繋がっているけれど、
ある意味では
「稼ぐのが下手」と見ていたし、
「上手く使われている」とも思っていた。
それを総合すると、
私の理想は、
父のように、
思いやりと、人との協力のもとに、
そして、
みんなで豊かになること。。。。。
仕事の進め方も、
どうしても、
「ここまで求めて欲しい!」
が強く、
「私を選んだってことは、ここまで行きたいあなたが、潜在的に選んでいるのだよ。」
と、
大きな目標を、先に提示し過ぎていたのかもしれない。
やっぱり、ここも極端だったのだろう。
誰しも、
進むにも、段階がある。
明確に提示し過ぎると、
どうも、人は、一足飛びに行きたくなるようで、
いや、
行かないといけないと思ってしまうのだろう。
そうなると、
自己卑下も大きくなりやすいし、
焦りやすい。
焦ってしまうと、
目先の言動が疎かになりやすかったり、
足元が見えなくなるようだ。
だから、
ザックリと、、、、、
私の生き方や、向き合い方を、ただ例として見てもらいつつ、
あとは、
その人それぞれの段階に合わせて、
さらに、
その人の目標や目的に添わせて、
たまに軌道修正も提案しつつ、
もっと、
その人を尊重していった方が良いのだろう。
もし、それが遠回りでも、
もし、それが逆に向かっていても、
そうしたいのであれば、
尊重して、見守るしかないのだろう。
ただ、
情報という形で、
お伝えすることは、出来るだけしよう。
諦めずにやって行こう。
スルーされても、
それは、
その人の無意識がさせる訳で、
その瞬間は、聞けないのだから、そこはしょうがないのだろう。
それさえも、
受け入れよう。
これも、
私の中での理想に極端に走り過ぎないようにと、
相手の理想や目標との、
双方を尊重する「バランス」なのだろう。
私のプライベートも、、、、、
ま、
プライベートも、仕事のスタンスも、
どちらも使い分けれるほど器用では無いけれど。。。。
今までは、
やっぱり極端に、
人を信じられないで生きていた。
だから、
頑張り過ぎるしか無かったのだ。
誰かのお世話になったり、
誰かを頼ることを、
喜んで生きようと思う。
頼れる人が居ることも認めて行こう。
どう頑張ったって、
一人では生きれないのだ。
努力はしよう。
でも、
頑張り過ぎないようにしていこう。
頑張り過ぎている時、
間違い無く無意識の私は、
「孤独」を感じているから。
いや、
自ら、「孤独」に入り込んでいるのだと、今は分かる。
まぁ、それも、
今まで、そうやって生きてきたから、
振り返って、
理解出来たのだ。
今までの生き方も、やり方も、
悪かった訳ではない。
「今から」の私は、
もう、その生き方は不要だということだけ。
ここも、
やっぱり、
「過去の私」と「今からの私」との、
「バランス」なのだよね。
どんな生き方も、
どんな選択も、
全てのことをジャッジせずに、
ただ見守ろう。
自分にも、
自分以外にも、
それが出来る私になろう。
相談されれば、
感じたことを、伝えれば良い。
ただ、
「私には、そう感じるんだよ。」
「私は、そう思ったんだよ。」
と、
私の理想は、ちょっと横に置いて、
情報としてだけ。
もしかしたら、
言葉には重みが無くなるかもしれない。
でも、
それも、悪くは無い。
受け取りたい人は受け取るし、
そうではない人は、
スルーしてくれる。
そんな私に、
魅力を感じなくなる人もいるだろう。
でも、
それも、良いのだろう。
外からの承認は、空虚だからねえ。
私は、
私の中の心地の良い場所を広げて行きながら、
それが、
自分以外の人にも心地の良い場所と繋がって、広がって行く、
そんなイメージを見ることが出来たから。
そこには、
「バランス」は不可欠のようだ。
Posted by Titania at 12:03│Comments(0)
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