2013年02月20日
「不安」と「信頼」。
ふと思ったこと。
私は、いつもここで書いているが、
「不安」から、一生懸命に何かをしてしまう。
それは、
恋愛でなら、
「離れられたくないから」
であったり、
「思いを理解して欲しい」
であったりなのだ。
でも、それは、
どれにしても、まず、
「相手の気持ち」
や、
「私を理解してくれている」
という、
相手の範疇に対して、
私が、
「信用・信頼」してい無いってことなのだと。
私は、
主人との問題が起きた時に、
いつも、自分が悪い訳ではないのに、自分から積極的に動く。
それは、
電話や会話であったりで、
その時間と機会を、
私から出来るだけ作るのです。
でも、
よく聞く話では、
巷の女性は、そんな時は相手の出方を待つらしい。
「待つなんて、、、、、そんなこと出来ない!」
と、
いつも思っていた。
そこには、
上記に書いた気持ちがあったから。
常に、自分が愛されている自信が無かったのだよねえ。
でも、
逆を言えば、
自信が無いのでは無くって、
相手の気持ちを「信用・信頼」していなかったんだよね。
自分を思ってくれているってことに「信用」出来なくって、
「信頼」なんて、持てる余裕も無かった。
女性は、
自然界では「大地」と例えられることが多い。
昔の例えなら、
「男は船。女は港。」
ですねえ。(笑)
どちらにしても、
女性は、動かずに、そこに居ることが魅力のようだね。
ただ、そこに留まって、
そこで、いつも常に居る。常に待つ。。。。
それが、
男性には「安心」に映るのだろうか?
「与えた物しか戻ってこない」
「与えたものだけが与えられる」
それが真理であれば、
「安心」を与えなければ、
「安心」はもらえない。
「信用・信頼」をしていなければ、
「信用・信頼」してもらえないのだろう。
んーーーー。
まだまだ、ドシンと、そこに留まって待つことは苦手だけれど、
ちょっとだったら、
出来るようにはなれそうだ。
それは、
どこか、少しだけ、主人に対して「信用・信頼」をし始めて、
それを、
小さな確信として、
本当に、一つまみ程度かもしれないけど、握れるようになってきたからだと思う。
そこには、
「誰もが皆、神が創造したままの存在である」
と、
それを肯定して、受け入れてみて、感じてみたことも大きい。
恋愛で無くても、
ここ最近、ある人との関わりの中で、
「こう思われているんじゃないか?」
と、
マイナスに考えていたのだけれど、
悪く思われたくない私は、
何かしらの動きをしたくなる。
「連絡を取ってみようか?」
と、
今、何か連絡を取る用事も必要も無いのに考える。
そこには、
相手が、マイナスの感情を持つと、そう思い込んでいる私が居る。
それは、
相手にも、
自分自身にも、
「信用・信頼」していない証拠。
「私も、その人も、神が創造したままの存在である」
と理解すれば、
受け入れれば、
何も「不安」を感じる必要は無いのだ。
もし、ご縁が無くなろうとも、
もし、一時的にでもご縁が途切れようとも、
それは、
そこに意味があり、
そこに執着する必要は無いのだ。
全ては、
成るようになっているし、
必要なことしか起きないのだから。
私は、いつもここで書いているが、
「不安」から、一生懸命に何かをしてしまう。
それは、
恋愛でなら、
「離れられたくないから」
であったり、
「思いを理解して欲しい」
であったりなのだ。
でも、それは、
どれにしても、まず、
「相手の気持ち」
や、
「私を理解してくれている」
という、
相手の範疇に対して、
私が、
「信用・信頼」してい無いってことなのだと。
私は、
主人との問題が起きた時に、
いつも、自分が悪い訳ではないのに、自分から積極的に動く。
それは、
電話や会話であったりで、
その時間と機会を、
私から出来るだけ作るのです。
でも、
よく聞く話では、
巷の女性は、そんな時は相手の出方を待つらしい。
「待つなんて、、、、、そんなこと出来ない!」
と、
いつも思っていた。
そこには、
上記に書いた気持ちがあったから。
常に、自分が愛されている自信が無かったのだよねえ。
でも、
逆を言えば、
自信が無いのでは無くって、
相手の気持ちを「信用・信頼」していなかったんだよね。
自分を思ってくれているってことに「信用」出来なくって、
「信頼」なんて、持てる余裕も無かった。
女性は、
自然界では「大地」と例えられることが多い。
昔の例えなら、
「男は船。女は港。」
ですねえ。(笑)
どちらにしても、
女性は、動かずに、そこに居ることが魅力のようだね。
ただ、そこに留まって、
そこで、いつも常に居る。常に待つ。。。。
それが、
男性には「安心」に映るのだろうか?
「与えた物しか戻ってこない」
「与えたものだけが与えられる」
それが真理であれば、
「安心」を与えなければ、
「安心」はもらえない。
「信用・信頼」をしていなければ、
「信用・信頼」してもらえないのだろう。
んーーーー。
まだまだ、ドシンと、そこに留まって待つことは苦手だけれど、
ちょっとだったら、
出来るようにはなれそうだ。
それは、
どこか、少しだけ、主人に対して「信用・信頼」をし始めて、
それを、
小さな確信として、
本当に、一つまみ程度かもしれないけど、握れるようになってきたからだと思う。
そこには、
「誰もが皆、神が創造したままの存在である」
と、
それを肯定して、受け入れてみて、感じてみたことも大きい。
恋愛で無くても、
ここ最近、ある人との関わりの中で、
「こう思われているんじゃないか?」
と、
マイナスに考えていたのだけれど、
悪く思われたくない私は、
何かしらの動きをしたくなる。
「連絡を取ってみようか?」
と、
今、何か連絡を取る用事も必要も無いのに考える。
そこには、
相手が、マイナスの感情を持つと、そう思い込んでいる私が居る。
それは、
相手にも、
自分自身にも、
「信用・信頼」していない証拠。
「私も、その人も、神が創造したままの存在である」
と理解すれば、
受け入れれば、
何も「不安」を感じる必要は無いのだ。
もし、ご縁が無くなろうとも、
もし、一時的にでもご縁が途切れようとも、
それは、
そこに意味があり、
そこに執着する必要は無いのだ。
全ては、
成るようになっているし、
必要なことしか起きないのだから。
Posted by Titania at 11:39│Comments(2)
│Titaniaの自己啓発
この記事へのコメント
こんにちは。
「信頼」出来ると自信もつくし、「不安」も無くなるような気がします。私も「?」ってなると、なんかざわざわして落ち着かなくなる。
「言わんともわからん、言ってもわからん」なら言わないほうがいいし。家族も恋愛も人間関係は「好き!」と「信頼出来る!」と両方感じられれば理想ですね。
「信頼」出来ると自信もつくし、「不安」も無くなるような気がします。私も「?」ってなると、なんかざわざわして落ち着かなくなる。
「言わんともわからん、言ってもわからん」なら言わないほうがいいし。家族も恋愛も人間関係は「好き!」と「信頼出来る!」と両方感じられれば理想ですね。
Posted by ピー at 2013年02月20日 13:31
♪ピーさん
ホント、そうですよねぇ。
何で、「好き」と「信頼できる」は、一緒に居てくれないのだろう。。。。
それは「必ず一緒に一組である!」と、自分で決めたら良いのかな。
また、そこは考えてみますね。
ホント、そうですよねぇ。
何で、「好き」と「信頼できる」は、一緒に居てくれないのだろう。。。。
それは「必ず一緒に一組である!」と、自分で決めたら良いのかな。
また、そこは考えてみますね。
Posted by Titania
at 2013年02月21日 12:11

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