2013年05月21日

「罪悪感」が在る限り。。。。。

とっても久しぶりの投稿です。





残念ながら生理になってしまい、

でも、

今だから出来ることをやって仕舞おうと色々と検討中です。





その一つがブログの投稿。





では、書きましょう。














ここ1ヶ月の間に気が付いたこと。





「罪悪感」を持っている限り、本当の「許し(赦し)」は行えないってこと。





私は「罪悪感」を持ちやすいです。

ま、誰しも、そうある方が多いとも思います。





例えて言えば、

今回だって、生理が来ると、

「妊娠出来なかった」⇒「着床が上手く行かなかった」⇒「私が40代で無かったなら。。。。」

と考えて、

主人にも、着床できなかったであろう受精卵にさえも、申し訳なく思ってしまう。

(受精はしている感じを体感で感じているので、この感想です。)





仕事上でも、

お客様とのやり取りで、

伝えたいことが伝えられても、その重要性を腑に落としてもらえなかったりすると、

自分の技量の無さとして感じてしまう。

(これは、本来はその方の選択だとは分かっているのですけど、つい、そう思ってしまったりするのです。)





先日も、

父と母を見ていて、

幸せそうでないことや、未来に希望を抱いていない言葉や様子を見て、

「だから、私が出来なかったら、こんな人生を選ばなくっても良かったんでしょう。。。。」

と思ってしまう。

(両親は出来ちゃった婚で、私を妊娠したことがきっかけで結婚しています。)





ま、それ以外でも、まだまだ小さなことから出て来ているかもしれません。















そんな「罪悪感」とは、

在る一定の価値観を持っているから感じる訳なのですけど、

ここの意味、分かるでしょうか?





「こうあるべき」だったり、

「理想」であったり、

何かしらの価値観や、指針のようなものを持っているから、

だから、

そう出来無かったり、そうで無かった場合に、

「罪悪感」が湧き上がる。





例えを用いれば、

子供が欲しい主人が居て、それに応えたい私が居る。

「妊娠すること」「子供を産むこと」が目的となっていて、

そうなれば、主人に幸せをあげれると思っていて、それによって私も幸せが増すと思っている。

「それが出来なかったら、、、、」と、逆に不安も感じる。

「そうなったら良いな。」の希望から、

もう、執着になっている。





仕事でも、

「私が出来ることなんて、ちっぽけなことで、本来は、不要な役割なのではないか?」

と思うことだってある癖に、

つい、「頑張らないと!」的な気持ちが湧きあがってしまっている。

そして、

「どう生きることが幸せになることなのか?」を、

いつも考えているが故に、

「罪悪感」を感じている時には、

たぶん、自分だけでなく、お客様にも

「伝えたい!」から、

「分かって欲しい!」に、

行き過ぎているのかもしれない。





両親にも、そうだ。

「人生とは、豊かに生きれるもの」と、私の思いが強いから、

そう生きようとしていない姿を見せられると、

上記のように、

そう出来ない理由は、原因は、

「私を妊娠したことで、そこで、今の相手を結婚相手として決めざるを得なかった」

と感じてしまっている。

本当は、

どんな風に生きようと、

どんな人生を選ぼうと、

全て、その人の自由であって、

「幸せ」なのか?

「不幸」なのか?

それさえも、全て、その人の問題。

そんなこと、分かっているのに、目の前で人生を豊かに感じていない様子を見せつけられると、

「怒り」と同時に「罪悪感」を感じてしまうのだ。





この例えで、少しは伝わるでしょうか?















沢山のジャッジの材料を持っているから、

「罪悪感」を、感じてしまう訳です。





と言うことは、

自分だけにではなく、必ず、他の誰かにも、そのジャッジをやっているはず。





「自分にはやっているけど、他人にはジャッジはしていません!」

とおっしゃる方が居るかもしれませんが、

そんなに都合よく私達は自分をコントロールは出来ていません。

潜在的に持っている限りは、

無意識にやってしまっているはずなのです。





ちょっと内観してみて下さい。





世の中でも良いですし、

あなたの周りの身近な人でも良いです。

人で無く、環境などにでも良いでしょう。

「どうしても許せない」

と感じることや思うことはありますか?





今でも戦争を行っている国に対してや、

最近の近隣諸国の動向になどや、

政治家さん達から、ニュースになるような事件から、ご近所まで。

天災に対して理不尽さを感じている方もいるかもしれませんね。





その感情とは、

「こうあるべき」や、「こうでなければ」など、

色んな価値観や指針や、「幸せ」の基準値に対して、

見合わないことから感じますよね。





この価値観などは、

ある意味、

持っていることで重要な役割を持つ思いでもあるし、

素敵な思いでもあったりしますよね。





でも、

「過ぎれば、、、、」

人を裁いたり、ジャッジしたりする、判断材料な訳です。





そうでない場合に、「怒り」も湧くことだってあります。





でも、

この思いが、自分で自分にも裁きを与えていて、

自分で自分を苦しめることもあるのですよね。















「罪悪感」が在る限り、

私は、

本当に豊かで幸せにはなれそうに無いと思うのです。





そして、

それは、

持っていることが、素敵であったり、良いことであったりする、

価値観や指針や理想であったり、が、

私自身に、

不要な「罪悪感」をもたらしている。





「こうありたい!」や、

「こうなりたい!」など、

希望や展望や、価値観や指針なども、

全部、一度、取っ払って生きてみたいと、そう思うのです。





「罪悪感」を癒すフラワーエッセンスを飲み続けています。

それによって、

ここまで気が付けたのだとは思います。





ただ、

そこから進まないのが、

ここがネックになって、進めないんだと思うのです。





「こうあるべき!」「こうありたい!」

幸せになりたくって握っているつもりの、この価値観などなのに、

それを握っている限り、

自分の中に「罪悪感」が湧き上がる可能性は無くならない。。。。





でも、

「罪悪感」は、誰も幸せにはしてくれません。





逆に、

人にも「罪悪感」をもたらしたいと、そうなることさえあるものです。





不幸の連鎖。

不幸の投げ合い。





これは、不要な流れですよね。





みなさんは、どう思われますか?















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Posted by Titania at 12:33│Comments(1)Titaniaの自己啓発
この記事へのコメント
♪暁流さん
こちらこそお久しぶりです。
更新が少なくなっても、こうやってコメント頂けるのは、本当に嬉しい限りです。
ありがとうございます。

本題ですが、、、、
頑張って生きている人って、同じように頑張って生きている人で無いと受け入れられない方々が多いのですよね。
ま、以前の私も、そうだったのですけどね。。。。(笑)
どう生きようと、本人の問題。
相談されて、それに応えた対応がそれならば、まだしも、こちらから相談していないのに、そう言われても、「私は、今、ワザと、そう生きてみているのに。。。。」となってしまいますよね。
ま、分かってもらうのも難しいので、心配頂いたという思いだけ受け取って感謝させてもらうしか無いですね。

以前、同級生の男性が言っていた言葉です。
「俺は熊本の女の人とは、もう結婚は無理だな。だって、熊本の女性は頑張っている人が多く、だから、自分が頑張っているから、相手も同じように頑張っていないと怒る人が多いたい。」
だそう。。。。
ま、彼の見解では「熊本の女性」が、そう見えているみたいでしたけど、頑張っている人は、男女問わず、やはり、そういうタイプが多いのでしょうね。
Posted by TitaniaTitania at 2013年05月23日 16:45
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