2009年12月26日
自分を知らな過ぎる
もう、これは、何度も書いていますが、
「自分の事を知らない人」が多すぎるという事に、本当に驚きます。
「今の自分」を高く見積もっている方が、
本当に、余りにも多く、
本気で、ビックリなのです。
自分の知っている情報が、
「絶対に間違っていない!」と確信し過ぎている事や、
自分の感じている事が、
「正しい!」と「これが正義!」と思い込んでいることなど、
本当に、
「井の中の蛙」
どころではない話です。
で、なぜなんだろう?
と、色々と考えてみました。
そこで、気が付いたのは、
私の世代から上では、
そういう人は、全く居ないとは言いませんが、ちょっと少ない少数派になります。
で、私の世代からグッと下がった世代からが多いんだな。
と感じました。
でも、じゃぁ、まだ若いから。。。。?
だけでは無い気もします。
なぜなら、そうじゃない人もいらっしゃるから。
そうじゃない人達は、
結構、学生の頃からや、社会に出てからも、シッカリと揉まれているタイプが多いようです。
まぁ、だから、それを、
「幼い」
って、実年齢じゃないところで、一括りにして言われるのだろうけれども。。。。
私たちの時代までは、
ある程度、まぁ、バブル期もあって、
物質的には、満たされたと言えば、満たされた世代であろうと思われます。
でも、その下の世代の人達は、、、、?
いやいや、子供の時は、当然その頃、バブル期真っ只中なはずなので、
豊かな幼少期を過ごし、
「三つ子の魂、百まで」と言われるように、
幼い頃の豊かさで、十分、根底の物質欲は満たされていたはずなのです。
でも、幼い頃から、
「満たされていなかった。」
と、言う人に多々会って聞いている。
全てが、みんなに、平等に与えられるなんて、
そんな世の中、在り得ないのに、
まさか、
それを、望んではいないだろうか???
誰かが手にしているものは、
必ず、私にも、手にすることが出来ると。。。。
そして、そうあるべきだと。
本当の現実は、
大人になる頃に、
バブルがはじけていて、就職難や氷河期と言われる時代であるだけ。
そこからは、大変だったかもしれない。
というか、
「大変だ。」と思い込んでいたのではないか?
会社の先輩から、
「前は、ボーナス〇ヶ月分だったんだよ。社員旅行は海外で、、、。」
などを聞いて、
損をした気分だったのではないでしょうか?
でも、それは、「自分たちの世代」ではない、
「過去の世代」のバブル期と比べるからではないのか?
知らないからこその、
イメージの中のバブル期に、憧れを抱き過ぎていないのだろか?
まぁ、それだけではないかもしれないけれど、
でも、余りにも酷い
「満たされていない感」
と
「枯渇感」
と
「損をしたくない」という感じ。
そして、
お勉強以外での順位をつけられることも無さ過ぎて、
自分という人間を、
客観的に見る機会が、余りにも無さ過ぎて、
自分を知らな過ぎるのではないだろうか?
自分の、
人としての、人間としての、
「出来なさ加減」を知らな過ぎるという、
危険な結果が生まれているのではないだろうか?
私たちの頃は、
本当に何でも順位をつけられていた。
高校や大学でも、
「ミスコンテスト」らしきものは必ずあった。
高校の時に出た、文化祭のバンドだって、上手下手があからさまに評判にそのまま乗っていたし、
イベント毎ででも、また「ミスコン」があっていた。
それによって、
本当に可愛い子は、誰が見ても一番可愛く、
歌が上手な子は、誰から見ても上手で一番で、
ダンスが上手な子は、誰が見てもダンスが一番上手であり、
そうやって、
ある意味、良いのか悪いのかは別としても、
何かに秀でている子と、そうでない子と、明確に、ランク分けまでされて表に表されていた。
そして、あの時代のディスコでは、(ぁー、古い話です。。。泣)
「お立ち台」には、誰でもは上がれなかった。
自分が上がりたいと思っても、
実力が無ければ上がれないし、上げてももらえないし、自分の心の中での自信も満たしておかないと無理。
上がったところで、下手であれば下ろされたり、ブーイングがあったり。。。。
周りが上げてくれて、そして上がれる。
そして、誰かが上がれば誰かが落ちる。
落ちた側は、そこで上下を感じて諦めたり、
「いける!」
と踏めば、もう一度上がる。
そんな、面白い社会の縮図のような上下が在った。
こんな、夜の遊びの中にも、
色んな上下があり、戦いも在り、そこに努力や実力の存在が明確に在った。
そこに、バランスがあって、
そして、そこから、
人には無い自分の良さを、もっと伸ばしていくという形を取ることで、
それぞれの個性が生かされて、
成り立っていた気がする。
まぁ、最近は、
みなさん、それぞれが、豊かな時代に育っているから、
みんな歌も上手だし、顔もキレイに見せる事も上手になっているし、
何でも、ボチボチの枠に、全て入っている方多いですもんねぇ。
ただ、だからこそ、ダントツって方も少ないのかな?
やっぱり、みんなが
「モーニング娘」化してしまっているのかな?
自分で、客観的な自分の価値を知ること。
そんな機会が、無さ過ぎることは、
結構危険なんじゃないか?
と、ふと思った。
偏見かもしれないけれど、
そう思うしか、理解が出来ない人が多すぎる。。。。。
みんな、大変だろうな。。。。
とも思うし、
かわいそうにも感じる。。。。
ま、いらんお世話になるのでしょう。。。。
じゃぁ、あなたは、自分を知っているの?
と言われそうですね。
はい!
随分と、自分のいけてないところを認めれるようになりました。
自分の悪いところや、いけていないところを、
キチンと正面切って向き合って、そして知る事で、
棚に上げることなく、
悪びれる事も無く、
そのままを、素直に恥じたり、反省する事が、とっても大切だと思っています。
そこから、
「良いところ」も「いけてないところ」も、
両方を知ることでの、自分の中のバランスも知り、
そんな私と付き合ってくれている友人たちや、
家族やダーリンに対しても、
感謝が生まれて、今に至っています。
だから、
「満たされている」
という感覚が強くあるし、幸せを感じている。。。。
ショッピングモールでも、
必ず、地図には、「現在地」は分かりやすく書いてあります。
なぜなら、「現在地」が分かっていないと、
行きたい場所には、辿り着きにくいからです。
と言う事は、
人生でも、
「今の自分」を間違って理解していたら、
進みたい方向にさえも、行けなくなってしまうかも知れないのです。
「今」の自分を知る。
とっても、大切だと思うんだけどな。。。
「自分の事を知らない人」が多すぎるという事に、本当に驚きます。
「今の自分」を高く見積もっている方が、
本当に、余りにも多く、
本気で、ビックリなのです。
自分の知っている情報が、
「絶対に間違っていない!」と確信し過ぎている事や、
自分の感じている事が、
「正しい!」と「これが正義!」と思い込んでいることなど、
本当に、
「井の中の蛙」
どころではない話です。
で、なぜなんだろう?
と、色々と考えてみました。
そこで、気が付いたのは、
私の世代から上では、
そういう人は、全く居ないとは言いませんが、ちょっと少ない少数派になります。
で、私の世代からグッと下がった世代からが多いんだな。
と感じました。
でも、じゃぁ、まだ若いから。。。。?
だけでは無い気もします。
なぜなら、そうじゃない人もいらっしゃるから。
そうじゃない人達は、
結構、学生の頃からや、社会に出てからも、シッカリと揉まれているタイプが多いようです。
まぁ、だから、それを、
「幼い」
って、実年齢じゃないところで、一括りにして言われるのだろうけれども。。。。
私たちの時代までは、
ある程度、まぁ、バブル期もあって、
物質的には、満たされたと言えば、満たされた世代であろうと思われます。
でも、その下の世代の人達は、、、、?
いやいや、子供の時は、当然その頃、バブル期真っ只中なはずなので、
豊かな幼少期を過ごし、
「三つ子の魂、百まで」と言われるように、
幼い頃の豊かさで、十分、根底の物質欲は満たされていたはずなのです。
でも、幼い頃から、
「満たされていなかった。」
と、言う人に多々会って聞いている。
全てが、みんなに、平等に与えられるなんて、
そんな世の中、在り得ないのに、
まさか、
それを、望んではいないだろうか???
誰かが手にしているものは、
必ず、私にも、手にすることが出来ると。。。。
そして、そうあるべきだと。
本当の現実は、
大人になる頃に、
バブルがはじけていて、就職難や氷河期と言われる時代であるだけ。
そこからは、大変だったかもしれない。
というか、
「大変だ。」と思い込んでいたのではないか?
会社の先輩から、
「前は、ボーナス〇ヶ月分だったんだよ。社員旅行は海外で、、、。」
などを聞いて、
損をした気分だったのではないでしょうか?
でも、それは、「自分たちの世代」ではない、
「過去の世代」のバブル期と比べるからではないのか?
知らないからこその、
イメージの中のバブル期に、憧れを抱き過ぎていないのだろか?
まぁ、それだけではないかもしれないけれど、
でも、余りにも酷い
「満たされていない感」
と
「枯渇感」
と
「損をしたくない」という感じ。
そして、
お勉強以外での順位をつけられることも無さ過ぎて、
自分という人間を、
客観的に見る機会が、余りにも無さ過ぎて、
自分を知らな過ぎるのではないだろうか?
自分の、
人としての、人間としての、
「出来なさ加減」を知らな過ぎるという、
危険な結果が生まれているのではないだろうか?
私たちの頃は、
本当に何でも順位をつけられていた。
高校や大学でも、
「ミスコンテスト」らしきものは必ずあった。
高校の時に出た、文化祭のバンドだって、上手下手があからさまに評判にそのまま乗っていたし、
イベント毎ででも、また「ミスコン」があっていた。
それによって、
本当に可愛い子は、誰が見ても一番可愛く、
歌が上手な子は、誰から見ても上手で一番で、
ダンスが上手な子は、誰が見てもダンスが一番上手であり、
そうやって、
ある意味、良いのか悪いのかは別としても、
何かに秀でている子と、そうでない子と、明確に、ランク分けまでされて表に表されていた。
そして、あの時代のディスコでは、(ぁー、古い話です。。。泣)
「お立ち台」には、誰でもは上がれなかった。
自分が上がりたいと思っても、
実力が無ければ上がれないし、上げてももらえないし、自分の心の中での自信も満たしておかないと無理。
上がったところで、下手であれば下ろされたり、ブーイングがあったり。。。。
周りが上げてくれて、そして上がれる。
そして、誰かが上がれば誰かが落ちる。
落ちた側は、そこで上下を感じて諦めたり、
「いける!」
と踏めば、もう一度上がる。
そんな、面白い社会の縮図のような上下が在った。
こんな、夜の遊びの中にも、
色んな上下があり、戦いも在り、そこに努力や実力の存在が明確に在った。
そこに、バランスがあって、
そして、そこから、
人には無い自分の良さを、もっと伸ばしていくという形を取ることで、
それぞれの個性が生かされて、
成り立っていた気がする。
まぁ、最近は、
みなさん、それぞれが、豊かな時代に育っているから、
みんな歌も上手だし、顔もキレイに見せる事も上手になっているし、
何でも、ボチボチの枠に、全て入っている方多いですもんねぇ。
ただ、だからこそ、ダントツって方も少ないのかな?
やっぱり、みんなが
「モーニング娘」化してしまっているのかな?
自分で、客観的な自分の価値を知ること。
そんな機会が、無さ過ぎることは、
結構危険なんじゃないか?
と、ふと思った。
偏見かもしれないけれど、
そう思うしか、理解が出来ない人が多すぎる。。。。。
みんな、大変だろうな。。。。
とも思うし、
かわいそうにも感じる。。。。
ま、いらんお世話になるのでしょう。。。。
じゃぁ、あなたは、自分を知っているの?
と言われそうですね。
はい!
随分と、自分のいけてないところを認めれるようになりました。
自分の悪いところや、いけていないところを、
キチンと正面切って向き合って、そして知る事で、
棚に上げることなく、
悪びれる事も無く、
そのままを、素直に恥じたり、反省する事が、とっても大切だと思っています。
そこから、
「良いところ」も「いけてないところ」も、
両方を知ることでの、自分の中のバランスも知り、
そんな私と付き合ってくれている友人たちや、
家族やダーリンに対しても、
感謝が生まれて、今に至っています。
だから、
「満たされている」
という感覚が強くあるし、幸せを感じている。。。。
ショッピングモールでも、
必ず、地図には、「現在地」は分かりやすく書いてあります。
なぜなら、「現在地」が分かっていないと、
行きたい場所には、辿り着きにくいからです。
と言う事は、
人生でも、
「今の自分」を間違って理解していたら、
進みたい方向にさえも、行けなくなってしまうかも知れないのです。
「今」の自分を知る。
とっても、大切だと思うんだけどな。。。
Posted by Titania at 09:36│Comments(4)
│日々のつれづれ
この記事へのコメント
ディスコ☆懐かしいですねぇ~!
バリバリ行ってましたよ(笑)
お立ち台なる物が無いディスコでは、輪のセンター。。。
ホールの前。。。で踊れるかどうか~って、競い合ってました(笑)
それにしても、昨日の授業もお宝発見で楽しかったです。
娘ちゃんのパパともご縁があったとは。。。ビックリたまげました(笑)
バリバリ行ってましたよ(笑)
お立ち台なる物が無いディスコでは、輪のセンター。。。
ホールの前。。。で踊れるかどうか~って、競い合ってました(笑)
それにしても、昨日の授業もお宝発見で楽しかったです。
娘ちゃんのパパともご縁があったとは。。。ビックリたまげました(笑)
Posted by ゆうこ at 2009年12月26日 10:52
>全てが、みんなに、平等に与えられるなんて、
>そんな世の中、在り得ないのに、
>まさか、
>それを、望んではいないだろうか???
>誰かが手にしているものは、
>必ず、私にも、手にすることが出来ると。。。。
>そして、そうあるべきだと。
なんか、きょうだいのことを思い出す、ここ数日ですが。
「まさか」の気持ちとまったく同じ思いをしたことがあります。
羨ましい気持ちだって、私にもないわけじゃないです。
そうじゃない現実に、はぁ・・・とため息ついた頃もあります。
でも、恨みがましくは考えたことないなぁ・・・
>「今の自分」を高く見積もっている方
みんなで渡れば怖くない・・・って言葉ありましたっけ?
TPOをわきまえられない方は
どんどんわが道を突っ走っていける、ってイメージも
ちょっとあります。
長々すみません。
>そんな世の中、在り得ないのに、
>まさか、
>それを、望んではいないだろうか???
>誰かが手にしているものは、
>必ず、私にも、手にすることが出来ると。。。。
>そして、そうあるべきだと。
なんか、きょうだいのことを思い出す、ここ数日ですが。
「まさか」の気持ちとまったく同じ思いをしたことがあります。
羨ましい気持ちだって、私にもないわけじゃないです。
そうじゃない現実に、はぁ・・・とため息ついた頃もあります。
でも、恨みがましくは考えたことないなぁ・・・
>「今の自分」を高く見積もっている方
みんなで渡れば怖くない・・・って言葉ありましたっけ?
TPOをわきまえられない方は
どんどんわが道を突っ走っていける、ってイメージも
ちょっとあります。
長々すみません。
Posted by けいちゅん at 2009年12月26日 17:19
♪ゆうこさん
ほんと、熊本は狭いですねぇ。(笑)
また、新しい繋がりが昔話で出てくるかもよ。楽しみ。。。。笑
ほんと、熊本は狭いですねぇ。(笑)
また、新しい繋がりが昔話で出てくるかもよ。楽しみ。。。。笑
Posted by Titania
at 2009年12月27日 09:27

♪けいちゅん
そうだね。。。。TPO。
これを言い出すと、どうしても美術館関連を言いたくなる私です。
「そういうのって写真に撮っちゃいけないんだよ。」
と、もし伝えたら、
たぶん、私は、意地悪な厳しい人として思われるんだろう。。。。泣
「だって知らなかったんだもん。もうやっちゃったから良いじゃない、そんなに言わなくても。。。」
という声が聞こえてきそうです。
「言わんかったら、知らずに、悪びれずに、やり続けるんだろう?」
と思うと、はぁ、、、、
『無知は罪』だと叫びたくなる。
「知らない」事が悪いのではなく、
「教えられたくない」事が『罪』に感じる、今日この頃です。
そうだね。。。。TPO。
これを言い出すと、どうしても美術館関連を言いたくなる私です。
「そういうのって写真に撮っちゃいけないんだよ。」
と、もし伝えたら、
たぶん、私は、意地悪な厳しい人として思われるんだろう。。。。泣
「だって知らなかったんだもん。もうやっちゃったから良いじゃない、そんなに言わなくても。。。」
という声が聞こえてきそうです。
「言わんかったら、知らずに、悪びれずに、やり続けるんだろう?」
と思うと、はぁ、、、、
『無知は罪』だと叫びたくなる。
「知らない」事が悪いのではなく、
「教えられたくない」事が『罪』に感じる、今日この頃です。
Posted by Titania
at 2009年12月27日 09:34

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