2012年03月08日

「無意識」と「意識的」。

「無意識」の言動。。。。。





私も多々ありますが、

みなさんは、

ご自分に、それがあると、受け入れていらっしゃるでしょうか?















「無意識」の言動は、

日々の癖であったり、

幼い頃に作り上げたパターンであったり、

魂の癖の場合もあったりします。





逆に、

「意識的」であったり「意図的」であったりの言動は、

自分で、「やる」つもりで行っている言動。















面白いことに、

多くの方々は、

この「無意識」の言動には、

自分の言動なのに、

責任を持とうとしない傾向が多いのです。





なぜなら、

「だって、無意識だったから。。。。。」

「ワザとじゃないし。。。。。」

なのです。





私も、学生の頃、

友人に、

「無意識だから厄介なんだよ!」

と、

非難を受けたことがあります。

その頃の私は、

今、ここで話そうとしている内容を、理解出来てはいませんでした。





そう、

上記と同じで、

「ワザとじゃないんだもん。。。。。」

と思っていたんですよね。

無智であり、幼さゆえ、ですねぇ。(泣)





なので、

今から説明する内容が、納得できない方もいらっしゃるかもしれません。

その時は、

そのままスルーして下さい。

そういうう話もあるらしい、、、、くらいに、心のどこかに留めて頂けるのなら、

それでも良いし、

「全然分かんない!」

と、

投げやってもらっても構いません。





興味のある方だけ、

深くご自身を省みて下さいね。















「無意識」の言動の中に、

私は、日々の中で、玄関の鍵閉めがあります。





家に入って、

そのまま、「無意識」に、鍵を閉める。





でも、

夜に、寝ようとするとき、

ふと、

「玄関のカギ、閉めたっけ?」

と思うことがあります。





まぁ、玄関まで確認しに行けばいいのですけど、

そこで、私は、

「あの時、どうしたっけ?癖になっているから、閉めたはずだけど、、、、、、」

と思いつつ、

記憶を辿る。

指先の感触であったり、

閉めたときの音であったり、

目視して確認した瞬間であったり、

何かしら、具体的なその日の記憶が蘇らなければ、

私の中では、

「いつも、癖になっているけど、でも、絶対に閉めたとは言えないよね。」

と考えて、

玄関に確認しに行きます。

逆に、

上記の記憶の中で、どれかでもあれば、

私の中の「意識的」な記憶の中に確認作業としてアクセスしているので、

布団の中で安心して、そのまま眠ります。















別のパターンでは、

私の母は、

自分の「無意識」の言動は、自分でやっていたとしても、受け入れません。





理由は分かりませんが、

まぁ、上記の私の学生の頃と同じ気持ちなのでしょう。





私が、

実家で探し物をしていて、

どうしても見つからずに、母に訊ねる。





母は、

「見覚えが無いし、知らないよ。」

と答える。





どうしても見つからずに、

「本当に覚えが無い?」

と確認すると、

「絶対に知らないし、お母さんじゃないよ!」

と強く否定される。





でも、

その後、

何度と無く、母の部屋から見つかったこと多々、、、、です。





母は、

忘れているのかもしれません。

「無意識」の中の言動で、記憶の棚に入っていないのかもしれません。





私は、

このような会話の中で、学んだことがあります。

私としては、

母が、忘れていても良いし、「無意識」ででも良いんです。

ただ、

「絶対!」と言うことは、

そこに、

「自分は全ての言動の中で、間違い無く、それを知らない!」

という、

「無意識」の言動も、

「意識的」な言動も、

全ての範疇に対して、「絶対!」という言葉を、責任を持って使うべきではないのか?

と思ったのです。

そして、

その後、私は、

自信の無いことは、「自信が無い!」と言うようになりました。





ちなみに、

私にとって、このことは、

私の中で、

「母は、そういう人なんだ。」

と、

色々な意味で理解して、納得しているので、

母を責める気も無く、

ただ、私の今後の生き方の参考になるきっかけとなっているのです。















私は、

やったのかどうか、自信が無い自分の言動は、

「覚えていないけど、やったかもしれないし、やって無いかもしれない。ごめん、分かんない。」

と言うようにしています。





だって、

それが本当のことで、

事実なのです。





それが、

当たり前の自己責任の取り方だと、

そう思うのです。





「現実、やったかどうか?」

は、

その後、分かったり、分からなかったり、、、、だけど、

自分の記憶に残っていないことは、

素直に、正直に、

「分からない。記憶に無い。。。。」

と伝えるべきで、

そこに何がしかの責任が伴う場合は、

必要であれば、

「覚えていないんだよ。ごめんね。」

謝れば良いこと。





それを怠ったり、

そこに慮らないでいれば、

そこから、

「無意識」に、誰かを傷つけたり、

誰かに嫌な思いをさせてしまったり、

自分自身に対して、誤解をされてしまったり、

どちらにしても、

無責任な人として、

残念な結果に繋がる可能性が高いと思うのです。





みなさんは、

ご自身の「無意識」の言動を、

そして、

周りの方の「無意識」の言動を、

どう捉えていらっしゃいますか?
























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Posted by Titania at 09:16│Comments(0)日々のつれづれ
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