2013年02月19日
地獄とは。
「地獄はあるのか?」
そんな話をする機会がありました。
去年辺りに、地獄絵図などが流行っていましたよね。
鬼とか、そんなのも。
子育ての中での活用などで、TVでも観ましたが、
私的には、
「悪いことをしたら、地獄に落ちるよー!」
は、
何だか好きではない。
「罰が無ければ、悪いことをしても良いのか?」
とか、
ひねくれて解釈してしまうのだよね。
だから、
「バレなければ良い!」
などという、変な価値観が横行するのだとね。
もう、もっと、ちゃんとした意味や、思いを、
伝えて行かないといけない時代だと思うし、
子供でも、そこまで分かる人材が多い時代だとも思うのです。
それを見抜けずに、
軽んじて子供に接する大人の方が、
本当は、分かっていないのかも?
だから、また、子供が、大人の愚かさを逆手に取るのだよね。
これは、私なりの解釈。
「地獄は無い!」
けど、
見方を変えれば、
「地獄はある!!!」
だから、私から見れば、
「地獄なんて無いんだよ!」
と思っています。
それは、どういうことか?
例えて言えば、
一般的な主婦Aさんが、とある土地X地区に居たとしましょう。
今どきの主婦で、
ご主人にも不満もあり、嫁姑問題もあり、子供の子育てにも悩みがある。
ママ友たちとお茶をすれば、
みんな、それぞれの愚痴を言い合う。
その場に居ないメンバーの愚痴や悪口も、普通に。。。。
このAさんが、ご主人の転勤で、
X地区から、Y地区に引っ越し、住み始める。
このY地区は、
誰もが幸せそうで、裏表も無い人ばかり。
誰も、愚痴も悪口も言わない。
あるときに、
Aさんは、そこに居ない人の話題を振ると、
「居ない人の話は止めましょう。それより、、、、、」
と、
話を逸らされ、
じゃあ、と、嫁姑問題の愚痴を言ってみると、
それも、
「人はそれぞれに思いがあるし、価値観も違うからねえ。」
と話は終わる。
では、と、今度は主人の愚痴を話してみると、
「男性は外で頑張ってくれているし、同じだけの収入を私達が得ようと思ったら、尊敬に値するかもよ。」
なーんて、笑いながら、みんな話す。
Aさん、
毎日が、全然楽しくない。。。。
最初は、みんなが、良い人ぶっていると思っていたが、どうも本当に幸せそうなのだ。
その逆に、
段々、自分は不幸に見えてくる。
でも、
言われる言葉を、どうしたって、そのまんま、自分に当てはめて考えたくないのだ。
「って、ことは、そう思えない私が悪いの?」
と、
そんなことが浮かぶ。
そして、
段々、自分が嫌な奴に見えてくる。
自分が、とっても悪い人間に見えてくるのだ。
Aさん、
「ここは、私にとっては地獄だわ。。。。。」
と、
以前の住んでいたX地区のママ友に電話で愚痴る。
以前のママ友は、
相変わらずで、
「それって、絶対に裏があるよー!そんな人たちが居る訳無いよ!」
と言って、
一緒に、家族の愚痴や悪口を言い合い、
ついでに、
それぞれの隣保やママ友の悪気地で盛り上がった。
Aさん、
「あーーー、私、X地区に戻りたいわー!Y地区は地獄よ。
X地区に居た時は本当に楽しかったわ。私にとっては、X地区は天国そのものだわ。。。。」
と、
電話を締めくくった。
別の主婦Bさんは、
Y地区で幸せに暮らしていたが、やはり、ご主人の転勤でX地区へ引っ越した。
さて、
このBさん、X地区では幸せに暮らせるだろうか?
やはり、
あまりの価値観の違いで、最初は戸惑い、辛い日々を過ごすだろう。
ただ、
幸せを見つけることは得意なので、
その環境の中でも、幸せには過ごせるようになるだろう。
そして、
そのうち、このBさんの周りには、
少しずつY地区の頃のように、同じ価値観の人たちが増えてくる。。。。。
「類は友を呼ぶ」
と言いますが、
同じ種類の人と居る方が、心地良く、幸せで居られるものです。
なぜなら、
自分と同じ価値観や、同じ感覚でいる人との会話は、違和感が無く、共感が出来、
それによって、一体感が生まれて、幸せを感じやすいのです。
だから、
同じような価値観を持つ人と、一緒に居ると楽しく、
さらに、
その連帯感は強まるのです。
でも、
見方を変えると、
「同じ穴のムジナ」
となるのですよね。
どこから物事を見るかで、
それは、
「天国」にも見えたり、
「地獄」にも見える。
地獄絵図というのは、
そこに存在しない人から見た絵ではないかと、そう思うのです。
個人の価値観や感覚などを用いない、
ニュートラルで客観的な目線ってことです。
そういう目線から見たら、
色んな段階の、色んなフィールドは、
「悪食」「色情」、、、、、
色んな地獄があるように見えてしまうかもですよね。
それが、あの地獄絵図として表されていると考えれば、
とっても納得しませんか?
誰もが、みんな、
自分の価値観と、感覚を持ち、
そのフィルターを掛けて、
世の中を見ています。
全く同じフィルターは無くても、
似たような、近いフィルターを持つ人は居る。
その似たフィルターを持つ人と一緒に居ると、
そのフィルターが、
当たり前で、普通となる。
そうすると、
全く違う価値観や感覚で生きている人を見た時に、違和感を感じ、
さらに、
嫌気さえも差すのです。
これは、
自己防衛の一つの感覚でもあるのですよね。
「自分は間違っていない!」
と、
そう自己肯定しておかないと、危険を感じてしまうから。。。。
そうなると、
なおさら、
自分と同じフィルター、もしくは、近いフィルターの人と、一緒に居たくなるのです。
一緒に居ると、自己肯定されている気がするから。。。。
自分を客観視することは、
実は、とっても辛いことになりやすいのです。
かなり苦しい時もあります。
でも、
そこを乗り越えると、
自分の住みたい世界と、自分とを、統合出来るようになります。
でも、
その辛いかもしれない、苦しいかもしれない壁を、乗り越えなければ、
不平不満からは抜け出しにくいかもしれません。
不平不満は、
実は、
色んな事柄を、価値観や感覚を用いずに、客観的に見直すと、
無くなることが多いのです。
あなたは、今、
「天国」に住んでいますか?
それとも、
「地獄」に住んでいますか?
そんな話をする機会がありました。
去年辺りに、地獄絵図などが流行っていましたよね。
鬼とか、そんなのも。
子育ての中での活用などで、TVでも観ましたが、
私的には、
「悪いことをしたら、地獄に落ちるよー!」
は、
何だか好きではない。
「罰が無ければ、悪いことをしても良いのか?」
とか、
ひねくれて解釈してしまうのだよね。
だから、
「バレなければ良い!」
などという、変な価値観が横行するのだとね。
もう、もっと、ちゃんとした意味や、思いを、
伝えて行かないといけない時代だと思うし、
子供でも、そこまで分かる人材が多い時代だとも思うのです。
それを見抜けずに、
軽んじて子供に接する大人の方が、
本当は、分かっていないのかも?
だから、また、子供が、大人の愚かさを逆手に取るのだよね。
これは、私なりの解釈。
「地獄は無い!」
けど、
見方を変えれば、
「地獄はある!!!」
だから、私から見れば、
「地獄なんて無いんだよ!」
と思っています。
それは、どういうことか?
例えて言えば、
一般的な主婦Aさんが、とある土地X地区に居たとしましょう。
今どきの主婦で、
ご主人にも不満もあり、嫁姑問題もあり、子供の子育てにも悩みがある。
ママ友たちとお茶をすれば、
みんな、それぞれの愚痴を言い合う。
その場に居ないメンバーの愚痴や悪口も、普通に。。。。
このAさんが、ご主人の転勤で、
X地区から、Y地区に引っ越し、住み始める。
このY地区は、
誰もが幸せそうで、裏表も無い人ばかり。
誰も、愚痴も悪口も言わない。
あるときに、
Aさんは、そこに居ない人の話題を振ると、
「居ない人の話は止めましょう。それより、、、、、」
と、
話を逸らされ、
じゃあ、と、嫁姑問題の愚痴を言ってみると、
それも、
「人はそれぞれに思いがあるし、価値観も違うからねえ。」
と話は終わる。
では、と、今度は主人の愚痴を話してみると、
「男性は外で頑張ってくれているし、同じだけの収入を私達が得ようと思ったら、尊敬に値するかもよ。」
なーんて、笑いながら、みんな話す。
Aさん、
毎日が、全然楽しくない。。。。
最初は、みんなが、良い人ぶっていると思っていたが、どうも本当に幸せそうなのだ。
その逆に、
段々、自分は不幸に見えてくる。
でも、
言われる言葉を、どうしたって、そのまんま、自分に当てはめて考えたくないのだ。
「って、ことは、そう思えない私が悪いの?」
と、
そんなことが浮かぶ。
そして、
段々、自分が嫌な奴に見えてくる。
自分が、とっても悪い人間に見えてくるのだ。
Aさん、
「ここは、私にとっては地獄だわ。。。。。」
と、
以前の住んでいたX地区のママ友に電話で愚痴る。
以前のママ友は、
相変わらずで、
「それって、絶対に裏があるよー!そんな人たちが居る訳無いよ!」
と言って、
一緒に、家族の愚痴や悪口を言い合い、
ついでに、
それぞれの隣保やママ友の悪気地で盛り上がった。
Aさん、
「あーーー、私、X地区に戻りたいわー!Y地区は地獄よ。
X地区に居た時は本当に楽しかったわ。私にとっては、X地区は天国そのものだわ。。。。」
と、
電話を締めくくった。
別の主婦Bさんは、
Y地区で幸せに暮らしていたが、やはり、ご主人の転勤でX地区へ引っ越した。
さて、
このBさん、X地区では幸せに暮らせるだろうか?
やはり、
あまりの価値観の違いで、最初は戸惑い、辛い日々を過ごすだろう。
ただ、
幸せを見つけることは得意なので、
その環境の中でも、幸せには過ごせるようになるだろう。
そして、
そのうち、このBさんの周りには、
少しずつY地区の頃のように、同じ価値観の人たちが増えてくる。。。。。
「類は友を呼ぶ」
と言いますが、
同じ種類の人と居る方が、心地良く、幸せで居られるものです。
なぜなら、
自分と同じ価値観や、同じ感覚でいる人との会話は、違和感が無く、共感が出来、
それによって、一体感が生まれて、幸せを感じやすいのです。
だから、
同じような価値観を持つ人と、一緒に居ると楽しく、
さらに、
その連帯感は強まるのです。
でも、
見方を変えると、
「同じ穴のムジナ」
となるのですよね。
どこから物事を見るかで、
それは、
「天国」にも見えたり、
「地獄」にも見える。
地獄絵図というのは、
そこに存在しない人から見た絵ではないかと、そう思うのです。
個人の価値観や感覚などを用いない、
ニュートラルで客観的な目線ってことです。
そういう目線から見たら、
色んな段階の、色んなフィールドは、
「悪食」「色情」、、、、、
色んな地獄があるように見えてしまうかもですよね。
それが、あの地獄絵図として表されていると考えれば、
とっても納得しませんか?
誰もが、みんな、
自分の価値観と、感覚を持ち、
そのフィルターを掛けて、
世の中を見ています。
全く同じフィルターは無くても、
似たような、近いフィルターを持つ人は居る。
その似たフィルターを持つ人と一緒に居ると、
そのフィルターが、
当たり前で、普通となる。
そうすると、
全く違う価値観や感覚で生きている人を見た時に、違和感を感じ、
さらに、
嫌気さえも差すのです。
これは、
自己防衛の一つの感覚でもあるのですよね。
「自分は間違っていない!」
と、
そう自己肯定しておかないと、危険を感じてしまうから。。。。
そうなると、
なおさら、
自分と同じフィルター、もしくは、近いフィルターの人と、一緒に居たくなるのです。
一緒に居ると、自己肯定されている気がするから。。。。
自分を客観視することは、
実は、とっても辛いことになりやすいのです。
かなり苦しい時もあります。
でも、
そこを乗り越えると、
自分の住みたい世界と、自分とを、統合出来るようになります。
でも、
その辛いかもしれない、苦しいかもしれない壁を、乗り越えなければ、
不平不満からは抜け出しにくいかもしれません。
不平不満は、
実は、
色んな事柄を、価値観や感覚を用いずに、客観的に見直すと、
無くなることが多いのです。
あなたは、今、
「天国」に住んでいますか?
それとも、
「地獄」に住んでいますか?
Posted by Titania at 12:28│Comments(0)
│日々のつれづれ
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