2013年02月26日

「最高」を見ずに「最低」を見る。

今までの私は、

ダイエットでも何ででも、

全てを、トータルで、全部、理想を求めていました。





分かりやすい例で、

ダイエットであるなら、

ウエストも細くしたいし、足も細くしたい、

でも、胸は残して、、、、

と、

頭の中のイメージは、自分の身体で可能な最高のスタイル。





だから、いつも、上手く行かない。

いや、以前は、結果が出ていたのですよね。

でも、

段々、年齢的なのか?そうは行かなくなって、

で、

不平不満が募るし、結果も出ない。















それを、今回、

「最高の希望」を目指すのでは無く、

「最低での希望」を目指してみようと思ったのでした。





体重が減ることが難しいのならば、

「どこが、どうなったら、痩せて見えたり、洋服を着ても着こなしやすくなるのか?」

と、

「最悪でも、こうなれるならば、まあ、諦めが付く」

というところで、

目標設定をしてみようと思ったのです。





その目線にすると、

私の好みでは、

腰回りが太って、後ろから見ると中年体型として見えるのが、ちょっと嫌。

その上、

ウエストが太いと、ウエストをマークする服は着れないし、

それはジーンズでシャツをインにして着ることや、

スカートでシャツをインにすることも出来ない。

そして、

お尻や太ももは、

最悪、太くても良いと思っている部分がある。

それがメリハリになるかもしれないし、

女性らしさにも見せれると思っている。





となると、

ウエスト周りさえ痩せれれば、最悪OK!が出せるってこと。





なので、

カーヴィーダンスやら、コアリズムを引っ張り出しているのですが。。。。(笑)















それ以外でも、

随分と、この「最悪、どうする?」という目線は、

私を自由にしてくれた。





家事でも、

掃除も、食事も、

「最悪、これでも生きていけるしね。」

という目線で、

生活の仕方を緩められたし、

物に頼ることも、悪いことでは無いと思えるようになった。





マックもホカ弁も、

お世話になることに、罪悪感も無いし、

それで受け入れてくれる娘にも感謝だしね。





娘の子育てでも、そう。

「最悪、こうなっても、生きていてくれれば良いか。」

とか、

「最悪、そうなっても、元気でいてくれれば良いんじゃないか?」

とか、

「最悪、仕事をすることさえ出来れば、生きる能力はあるんじゃないか?」

とかね。

これによって、期待はほぼ無くなり、

「健康で、元気で、楽しく過ごしてくれていれば良い。」

に変わってきた。





主人とも、少しはこの変化がある。

「元気でいてくれれば良いか?」

とか、

ま、色々、、、だね。

それによって、不平不満は確実に減っている。





ついでに、

痩せれない、今の状態でも、

洋服で、痩せて見えるように着ることも、

靴で、ヒールを高めにして、さらに、ヒールの太さで足の太さや全体のバランスを誤魔化してみたり、

そんな工夫も出来るようになってきた。





これも、

自分を受け入れる一つなのかもしれないよね。















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Posted by Titania at 09:18│Comments(0)日々のつれづれ
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