2010年07月07日
犯人探し?
若干、昨日の続きです。
『幼少期』を見直す作業をすると、
多くの人は、「犯人探し」をしてしまいます。
なぜか???
自分以外の人や事柄の中に、原因を見つける事で、
自己責任が無くなる or 自己責任が軽くなる
そんな事での自己保身からでしょう。
「私を傷つけたのは、誰?」
「私に、こんな刷り込みをしたのは、誰?」
「原因は、誰?何?」
などなど。
「良い」「悪い」ではなく、
そうなりやすい。
そうある。
という事を、
そのまま知って、そのまま、まず受け入れてください。
そして、その上で、ここで、間違ってはいけないのが、
「犯人」は、誰でもない、
「自分」だということを知ってください。
表立っては、自分で自分は傷つけませんよね。
でも、そのシナリオを決めて、
表の「犯人」に犯行?をお願いしているのは、自分自身なのです。
ここで、
どうしても、誰かの所為にしてしまう方、
「結局は、自分が仕組んだんだよね。」と納得が行かない方は、
今一度、
『幼少期』を見直す時期を変更した方が良いかもしれません。
冷静に、客観的に、自分の人生を見れないと、
ずーっと、誰かの所為にして、
ずーっと、自分で責任を取らないままに、取れないままに、
過ごしてしまう可能性があるから。
そのままでは、
「知っている」「分かっている」だけの、
心底からの『腑に落ちる』状態ではないままでの、
いつも、
「どうして?」「何で?」
という、繰り返しの、
苦しい底なし沼にはまってしまうから。
ずーっと、
何だか上手く行かないまま、
何だかスッキリと腑に落ちないまま、
でも、
自分の人生なのに、自分では歩めないような、
そんな呪縛に繋がったまま、
答えが見つからない、迷路に、はまってしまうから。
私の、昨日の話であれば、
私は、自分の中の、意味の分からない、理由の分からない「怒り」や「不安」の、
その理由を、
キチンと、現世の自分の『幼少期』の中の出来事で、理解が出来た。
「犯人」を探すつもりではなく、
理由を理解する、
それだけで、充分だったのです。
「前世」でも、「今世」でも、
まだ繰り返し、それを学ぼうとしている。
という事は、
そのテーマが、私には、とっても深く、とっても重要だと言う、その根拠にもなる。
このテーマに関しては、また別の機会に。。。。
でも、これによって、
もう、無意識での、自分ではどうにもこうにも分からないと言う、この感情に、
私は振り回されることが、無くなって来る。
なぜなら、
理由が理解でき、その上での自分のシナリオだと理解でき、自分の範疇に入ったから、
私の管理出来るところに、私の意識下になったから。
無意識の感覚や、感情ほど、
持て余して、手に負えないものは無いのです。
私は、自分の前世も、随分と知っている内容が多い。
その中には、
昨日の内容の「怒り」や「悲しみ」や「不安」は、ある事を知っていた。
でも、
どうしても、それは、「パストライフ」
「終わった、過ぎ去った人生」のお話であって、今の、現実の、私の人生ではなかった。
だから、
振り回されたくも無かったし、癒して、浄化もしたかった。
それが、昨日の出来事で、
その感情が、
「前世」のお話ではなく、私の現実の幼い頃の事だと、分かったのだ。
そりゃー、
癒しも、浄化も、ほどほどにしか進まないはずだよね。
だって、
今の、今世の、私の感情は、置き去りだったんだからね。
キレイ事に聞こえるかもしれないけれど、
私たちの人生は、
自分自身を、自分自身の魂を、
磨き、輝かせる為の、研磨する為の、シナリオを、
自分自身で決めて、
身近な魂のグループのメンバーにお願いして、実行しているにしかならない。
それも、お互いの利害?学びたい事柄とがリンクするように、
上手いこと、組み合わさっているのだ。
誰かが「犯人」と言う訳ではなく、
自分自身が、
犯人役を、その相手にお願いして、実行しているだけ。
出来なかった、苦手な事柄、
出来なかった、苦手な感情、
そんな色々な事柄を、受け入れて、許し、認めていくこと。
その為のシナリオなのです。
ずーっと、何度も、何度も、繰り返し、
反復して、復習しながら、出来るようになるまで、新しい人生として繰り返す。
だから、今世、完璧に出来なくっても、
また次に繰り返して、学ぶのです。
焦らずとも、続いていくのです。
出来た振りをしても、
自分自身は、魂は、
本当はどうなのか?を知っています。
素敵になろうと思わないで、
ただただ、純粋に人生を全うする事が、
本当の充足感、満足感を、味わえるのではないでしょうか?
そして、
「今世は、ここまで出来たよ!」
と、笑って言えるような人生を、送れる方が、過ごせる方が、幸せなのではないかと。
出来ている振りよりも、
出来ないことを正直に、
出来ない自分を明らかに、
そうしていくことで、
本当の、魂での繋がりが生まれ、
一人ではなく、みんなで、前に進んで行ける。
そんな気がしています。
『幼少期』を見直す作業をすると、
多くの人は、「犯人探し」をしてしまいます。
なぜか???
自分以外の人や事柄の中に、原因を見つける事で、
自己責任が無くなる or 自己責任が軽くなる
そんな事での自己保身からでしょう。
「私を傷つけたのは、誰?」
「私に、こんな刷り込みをしたのは、誰?」
「原因は、誰?何?」
などなど。
「良い」「悪い」ではなく、
そうなりやすい。
そうある。
という事を、
そのまま知って、そのまま、まず受け入れてください。
そして、その上で、ここで、間違ってはいけないのが、
「犯人」は、誰でもない、
「自分」だということを知ってください。
表立っては、自分で自分は傷つけませんよね。
でも、そのシナリオを決めて、
表の「犯人」に犯行?をお願いしているのは、自分自身なのです。
ここで、
どうしても、誰かの所為にしてしまう方、
「結局は、自分が仕組んだんだよね。」と納得が行かない方は、
今一度、
『幼少期』を見直す時期を変更した方が良いかもしれません。
冷静に、客観的に、自分の人生を見れないと、
ずーっと、誰かの所為にして、
ずーっと、自分で責任を取らないままに、取れないままに、
過ごしてしまう可能性があるから。
そのままでは、
「知っている」「分かっている」だけの、
心底からの『腑に落ちる』状態ではないままでの、
いつも、
「どうして?」「何で?」
という、繰り返しの、
苦しい底なし沼にはまってしまうから。
ずーっと、
何だか上手く行かないまま、
何だかスッキリと腑に落ちないまま、
でも、
自分の人生なのに、自分では歩めないような、
そんな呪縛に繋がったまま、
答えが見つからない、迷路に、はまってしまうから。
私の、昨日の話であれば、
私は、自分の中の、意味の分からない、理由の分からない「怒り」や「不安」の、
その理由を、
キチンと、現世の自分の『幼少期』の中の出来事で、理解が出来た。
「犯人」を探すつもりではなく、
理由を理解する、
それだけで、充分だったのです。
「前世」でも、「今世」でも、
まだ繰り返し、それを学ぼうとしている。
という事は、
そのテーマが、私には、とっても深く、とっても重要だと言う、その根拠にもなる。
このテーマに関しては、また別の機会に。。。。
でも、これによって、
もう、無意識での、自分ではどうにもこうにも分からないと言う、この感情に、
私は振り回されることが、無くなって来る。
なぜなら、
理由が理解でき、その上での自分のシナリオだと理解でき、自分の範疇に入ったから、
私の管理出来るところに、私の意識下になったから。
無意識の感覚や、感情ほど、
持て余して、手に負えないものは無いのです。
私は、自分の前世も、随分と知っている内容が多い。
その中には、
昨日の内容の「怒り」や「悲しみ」や「不安」は、ある事を知っていた。
でも、
どうしても、それは、「パストライフ」
「終わった、過ぎ去った人生」のお話であって、今の、現実の、私の人生ではなかった。
だから、
振り回されたくも無かったし、癒して、浄化もしたかった。
それが、昨日の出来事で、
その感情が、
「前世」のお話ではなく、私の現実の幼い頃の事だと、分かったのだ。
そりゃー、
癒しも、浄化も、ほどほどにしか進まないはずだよね。
だって、
今の、今世の、私の感情は、置き去りだったんだからね。
キレイ事に聞こえるかもしれないけれど、
私たちの人生は、
自分自身を、自分自身の魂を、
磨き、輝かせる為の、研磨する為の、シナリオを、
自分自身で決めて、
身近な魂のグループのメンバーにお願いして、実行しているにしかならない。
それも、お互いの利害?学びたい事柄とがリンクするように、
上手いこと、組み合わさっているのだ。
誰かが「犯人」と言う訳ではなく、
自分自身が、
犯人役を、その相手にお願いして、実行しているだけ。
出来なかった、苦手な事柄、
出来なかった、苦手な感情、
そんな色々な事柄を、受け入れて、許し、認めていくこと。
その為のシナリオなのです。
ずーっと、何度も、何度も、繰り返し、
反復して、復習しながら、出来るようになるまで、新しい人生として繰り返す。
だから、今世、完璧に出来なくっても、
また次に繰り返して、学ぶのです。
焦らずとも、続いていくのです。
出来た振りをしても、
自分自身は、魂は、
本当はどうなのか?を知っています。
素敵になろうと思わないで、
ただただ、純粋に人生を全うする事が、
本当の充足感、満足感を、味わえるのではないでしょうか?
そして、
「今世は、ここまで出来たよ!」
と、笑って言えるような人生を、送れる方が、過ごせる方が、幸せなのではないかと。
出来ている振りよりも、
出来ないことを正直に、
出来ない自分を明らかに、
そうしていくことで、
本当の、魂での繋がりが生まれ、
一人ではなく、みんなで、前に進んで行ける。
そんな気がしています。
Posted by Titania at 08:43│Comments(0)
│インナーチャイルド
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