2010年09月13日

やっぱり面白い!!!

ここ数日の、

「イラッと」となっていた私自身の問題。。。。





そう、これは、両親との問題ではなく、

私自身の問題。





なぜに、両親に、「イラッと」なるのか?





その理由も、具体的には分からないままに、

ホメオパシーの「ローズクオーツ」を、現在飲んでいる。





ブルーピング効果であろうと、

私にとっては、

効果があれば、それで良く、

これは、スピリチュアルな分野でも、私の考えは、そう思っている。





「信じるものは救われる」

信じることで、前に向けるのであれば、前に進めるのであれば、

それは「救い」と言える。

ただ、ここには、

何を信頼・信用して、それを「信じる」のかが、鍵ではあるよね。

ま、これはまた別の機会に。















まぁ、そんな事はさておいて、

私は、

この数日の父との会話や、母との会話で、

何かが癒されている。





本当は、

現実、何も解決はしていない。





私が、

「こうなれば上手く進むのではないか?」

「こうしたら、みんな、上手く流れるのではないか?」

などなど、解決策を考えていても、

それは、どれも、

上手くいっている訳でも、

選択してもらって進めている訳でも、

全然無い。





でも、

ただ、父と話して、

「悲しい気持ち」

「悔しい気持ち」

「辛い気持ち」

を、

私の考えや思いを含めて話した中で、

ただただ伝えて、

ただただ言っただけ。





母にも、同じように、

ただただ伝えて、

ただただ言っただけ。

ただ、母は理解して、受け入れてくれた。















私は、

両親の前で泣くのは、

実は、子供の頃から出来ていなかった。





なぜだろう。。。。





バツが悪かったのか?

恥ずかしかったのか?

もう、これは、何故なのかは分からない。。。。





ただ、もう、

小学校に入る頃には、両親の前で泣くことはしていない。

それからずーっと。





ぁー、祖父が亡くなった時に、

お葬式で、私が、何故だか泣けたんだった。

そしたら、

叔母達や父が、

「Titaniaが泣くとは思わんかったねぇ。」

と言っていた。

何だか、冷たい人間だと烙印を押されているんだと思ったんだよね。















『泣く』という行為が、

やっぱり、今回は、良かったのかな?





両親の前で『泣く』。





これが、私にとって、

今まで出来ていなかった、

自分の感情表現の、大きな一つだったのかもしれないよね。





親に見せれなかった、

親に見せたくなかった、

親に見せてはいけないと思っていた、

どれであっても、

私が、

やってこなかった、

やれなかった、

やりたくなかった、

やってはいけないと思っていた、

その行為が、

『泣く』

ことだったのかもしれない。。。。。















どちらにしても、

このことがあった後、

私は、母に対して、たぶん優しい。。。。





不思議なことに、

「イラッと」していないのだ。





『怒り』の感情は、

私の解釈では、

いつも、『悲しみ』の裏返し、というか、

後ろに『悲しみ』が隠されている。





だから、

『怒り』の解放を狙ってヒーリングを進めていくと、

『怒り』の感情ではなく、

『悲しみ』の感情が湧いてきて、それを癒していくと、

いつの間にか

『怒り』も消えてしまっているという流れが多い。















「ホメオパシーが効いた」

と、私は思っている。





でも、

この感情は「私の問題」だと、シッカリと理解して、

この感情に「向き合う」と決めた段階で、

波動は変化し、

同時に、色々な事柄が動き出す。





だから、

何が効いたとか、何のお陰でとか、

本当は、

そういうものすら関係ないのかもしれない。





ベッドに入って自分にレイキも当てていた。

こうやって、ブログ上で感情を書き出し、客観視もした。

ダーリンに話しを聞いてももらった。

出来るだけ「内観」する時間もとった。





でも、全ての行為は、

全て、

「前に進むため」の行為だったことには間違いない。





「誰にどうして欲しい」

とか、

「誰かに受け入れてもらいたい」

とか、

そんな他者に対して、何かを求めて、問題をすり替えるのではなく、

全て、『自分の事』として、

全て、『自己責任』として、

それを決めて、腹をくくったからこそ、来た流れだと、

私は、思っている。





これは、傲慢にではなく、

「自分の人生は自分で決めて、自分で歩める」

という、

ここを、これを、信じているからこそ。





ただ、本当に、それだけなんだと、

更に感じて、

『感動』と『感謝』が湧き上がった。








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Posted by Titania at 08:58│Comments(10)インナーチャイルド
この記事へのコメント
あ~、なんか、この記事を読んで、自分の事で納得させてもらう
出来事がありました。

この何日かの両親との出来事で、
母に対して、いい意味で、「あれ?なんか今までの反応と違う?」
と思ったことがあったのですが、
これを読んで、やっぱり気のせいではないのかも、と思うことが出来ました。
読みながら、自分の母とダブって、泣けました。。

自分も母に泣いて訴えた後に、Titaniaさんのお母さんのように、
受け入れてくれたんだと、この記事で実感出来ました。

女性は、というより、母親は(個人の差かもしれませんが)
男性よりも、柔らかく対応してくれるものなんですかね。

私も、せっかくの機会があるので、気のせいで終らせないためにも、
また書いて自分の中で整理します。

いいきっかけをありがとうございました!
Posted by まっちゃ at 2010年09月13日 09:41
今日の内容を読んで、思い出しました。
私が20歳ぐらいの時、母と話していて、きっかけはこれと言ってなかったと思うんですが、私が「私は〜〜て思うよ、私も二十歳過ぎたし、いろいろ思うよ」と言った事からなぜか母がわんわんと泣き出して。
いつのまにか私まで泣いてて…
すると「○○ちゃんごめんねー。いつまでも子供、子供て私だけが思とって。可愛くてたまらんと、でももう大人だもんね。」と。
その後「最後でいいけん、いっとき抱っこさせて」とムギューッとハグしてました、泣きながら。
「母」という存在は不思議な感じがします。
今思い出しました、母ってかわいい人なんだなー。

甥は5年生ですが、今も私に抱きついて来るし、ホッペにチュ!とします母が言うには家で出来ないのを○○ちゃんにぶつけよるんだろうねー、と。
甥から「○○ちゃん(おばちゃんと呼んでと言っても)がお母さんだったら良かったのにねー」と言われると、嬉しいような複雑な気持ちです。


あの時泣いた母の事…思い出させてもらえて良かったですよ。
ありがとうございます!
Posted by ピー at 2010年09月13日 10:19
>「自分の人生は自分で決めて、自分で歩める」

母と父からの愛情を
病まずとも得られる・・と分かって。
なんで、「目的」がこれになったのだろう?
と発言する時にちょっと自信なくしつつ・・でした。

でもTitaniaさんの記事を読んで
なんだかとってももう1度納得できました!!
ありがとうございます!!

そして、ピーさんの記事を読んで
どこに触れたのだろう?
涙が溢れます。母という存在は大きいなぁとまた思ったからかなぁ。。
Posted by けいちゅん at 2010年09月13日 11:05
↑あ、、、
ピーさんのコメントですね。スミマセン!!(汗)
Posted by けいちゅん at 2010年09月13日 11:07
もう、両親はいないので、直接気持ちをぶつける事は、私にはできませんが。。。
時系列を書いていて、両親へ対する、不満や寂しさ、怒りなどばっかりを考え、書き列ねていました。
「どうして欲しい」「受け入れてもらいたい」と求めてばっかりの気持ちだったことに気付きました。
全て『自分の事』『自己責任』が足りてなかったんだと思います。
もう一度、腹をくくり直し、「自分の人生は自分で決めて、自分で歩める」ってことを、心に叩き込みたいと思います。
Posted by ゆうこ at 2010年09月13日 14:57
♪まっちゃ
ブログ、読んだよ。
良かったね。(笑)
お母さんが、そうやって受け入れていることをお父さんの前で言動することって、お母さんにとっては、勇気の要ることだったのではないのかな?
ここ数ヶ月の中での親子の会話で、すっごく腹を決めてくれての言動なのかもしれないよね。
だから、ちょっとした変化でも、それを、また言葉に出して、「ありがとう」を伝えたらどうかな。
そうしたら、お母さんも、嬉しいんじゃないかな。
Posted by TitaniaTitania at 2010年09月14日 09:20
♪ピーさん
ピーさんのご家庭って、本当は、感情表現が上手な家族なのではないでしょうか?
何だか素敵です!
うちは、ほんと、母も父も(特に母は)、気が付いた時から、感情を出さない人なので、やっぱり、私も、そう育ってきた傾向があります。
だから、ハグなんて、
娘とは出来るけど、両親となんて、抱っこされる年頃を超えてからは無い気がするし、
あと、やっぱり、他人とも、恥ずかしかったりで、すっごく苦手です。
いやー、素敵なお母さんだよ。
ほんと、可愛い方ですよね。(笑)
Posted by TitaniaTitania at 2010年09月14日 09:26
♪けいちゅん
やっぱり、子供の頃は、それが全て、それが世界だからね。
そこは、そうなってしょうがないこと。
ただ、段々と、自分の世界が出来てきて、変化していくのだけど、取りこぼしたものは欠けとして感じてしまうんだと思う。
そして、そこからでないと埋まらないと、決めてしまっているんだとも。。。。
そう考えると、今の自分の子育ての質も、考えさせられるよね。
母として、更に、思いを深くしないと!だよね。
Posted by TitaniaTitania at 2010年09月14日 09:30
♪ゆうこさん
今年は、うちの生徒さんやお客様で、ご両親を亡くされた方が、本当に多かったのですが、
そこで感じたことですが、
亡くなられたご両親との方が、繋がって見直すことが、とっても簡単に出来るということです。
なぜなら、もう、肉体の無い状態なので、ご両親のエネルギーに淀みやシガラミが少ないから、純粋な状態での愛情を感じ取りやすいのです。
レイキを使って、繋がってみて、会話をしてみて下さい。
受け取り損ねていた感覚を、取り戻せると思いますよ。
Posted by TitaniaTitania at 2010年09月14日 09:36
>そして、そこからでないと埋まらないと、決めてしまっているんだとも。。。。

お~・・・ホントそうです。
ここ決めてしまうことで、見落としたり取りこぼしたり
してしまうことがあったかもしれません。

子育ての質・・・

なかなか難しいですね。
さらに思いを深めていくよう、継続して心がけていきたいと思います。

ありがとうございました。
Posted by けいちゅん at 2010年09月14日 09:40
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